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      記者クラブタブー    スポンサー・広告代理店タブー
  官房機密費の謎   メディアタブー    報道におけるタブー
  
もくじ
 記者たちの「癒着メモ」を暴く
忘れてはいけない震災報道「9のウソ」
新聞・テレビはなぜ「ウソ」をつくのか 
腐りきった「記者クラブ」の正体 
「ニューメディア」への言われなき中傷 
世界標準のジャーナリズムを目指して
 おわりに-「インチキ記者」と呼ばれて
 
上杉隆 オフィシャル Webサイト Official Web Site of Takashi Uesugi
上杉 隆
プロフィール
上杉 隆(うえすぎ たかし、1968年(昭和43年)5月3日 - )は、株式会社NO BORDER代表取締役。自由報道協会代表。元ジャーナリスト。
ウィキペディア注釈
現在ノートにて記載についての合意と議論が行われています。

人物

雑誌や書籍などに政治記事を執筆する。主に、メディアに対して『記者クラブ問題』官僚制度に対して『官房機密費問題』『検察問題』を扱う[1]。また、ゴルフが趣味であり、『ゴルフダイジェスト』などのゴルフ専門誌にも寄稿している。『ゴルフが本業、政治はときどき、を目指してます』と、ゴルフジャーナリストを自称することもある。大学時代には学内でゴルフサークルを設立、代表を務めた。

記者クラブに属する日本の大手マスメディアによる談合や横並び・画一報道に対して、また『政・官・報』が癒着する日本のジャーナリズムの在り方に対して問題提起する。独自の視点から指摘を行う一方で、発言内容が問題視されることもある。記者クラブ問題と並び、官房機密費問題に対しても切り込む。著書「ジャーナリズム崩壊」の中では「情報源を明示しない悪癖を許してきた結果が日本のジャーナリズムを貶めている」「他人のものを盗まないのは当然」などと鋭い指摘をしている。また、日本のメディアは画一的な情報しか流さないことを指摘し、記者クラブの存在を糾弾しており、「多様な価値観」を座右の銘としている。[2]

日本ではマスコミ自体、 またジャーナリスト自身が自己検証・自己批判を行わないことも問題視している(欧米では訂正欄が確立していて自己検証を行う)。また、日本では客観的報道と謳いながら特定政党を支持するような報道が行われることも批判しており、客観的報道など不可能だから米国の新聞のようにどの政党を支持するか表明して報道すべきだとしている。一方では、「政治権力との距離感を忘れた派閥記者」などと特定政党を支持するような記者を批判しており、記者も国民の一人なので特定の政治家や政党を支持するのは自由であるが、それを報道に持ち込んではならないともしている[3]

twitterのヘビーユーザーで活用し、マスコミ上で発言をする際にもtwitterの“つぶやき”を多く引用している。また、ニコニコ動画やUstreamなどの動画共有サービスにて情報を配信するなどネットメディアを既存のマスコミに代わるメディアとして可能性を高く評価している。

テレビ東京の『やりすぎコージー』や、東京MXテレビ『5時に夢中』では「黒い池上彰」と名乗り、NHK時代の研修講師が池上彰だったと話している。

小学生時代は、新宿区内で軟式少年野球チームでサードを守り、キャプテンを務めていた。小学校6年生当時の夢は「野球選手」だったが、卒業アルバムに記すのに皆と同じでは面白くないと思い、兼高かおる世界の旅を観て世界を旅する職業に憧れ、「ジャーナリスト」と書いたという。しかし、中学校入学後はサッカー選手や講談社のブルーバックスに手が伸びすばる望遠鏡やゴルファーになりたいと考えていた。また小学校時代には書道で2回の入賞歴がある。[4]


経歴


福岡県生まれ、東京都新宿区育ち。東京都立広尾高等学校、都留文科大学文学部英文科卒業。
大学在学中から富士屋ホテル(山中湖ホテル)でアルバイトとして働きつつ、日本各地を旅する。
卒業後NHK報道局に勤務する[5]。NHKの正社員ではなく、あくまで記者見習いとして勤務。執筆記事はない。
本人曰く、入社一週間で使えないと判断されるが[6]、二年ほど本社勤務し退社する。当時の指導記者は池上彰だった。26歳から鳩山邦夫の秘書を5年間務める。
最終的に「30人ほどいる秘書のなかのナンバー2くらい」(公設第二秘書[7])になった[8]
その後[6]、ニューヨーク・タイムズに勤務(リサーチャーのアシスタントとして)。署名記事はない。ジャーナリズムの在り方をニューヨーク・タイムズ時代に学んだという。
2000年、『石原慎太郎と五人の参謀』を執筆する。その後、『文藝春秋』誌上で外務大臣就任前の田中真紀子批判キャンペーンを行う。

退職後の2002年、フリーランスジャーナリストとして活動を開始、雑誌や書籍などで主に政治記事を執筆する。この分野に関しては議員秘書時代に築いた人脈が役に立っているという。2003年には北朝鮮に入国し現地からのルポを送った。同年末、イラクへの取材入国前に観光で立ち寄ったチュニジアで事故に遭い、命は助かったものの退院まで約1年の重傷を負う[9]
その後は国内の政治取材を中心に活動。

2009年の民主党政権誕生の際には、同年6月に『民主党政権は日本をどう変えるのか』を出すなど、民主党政権誕生を支持した。
民主党のマニフェストを疑問視するマスコミを批判するなど、民主党政権誕生に奔走するとともに、民主党政権・政治の健全さを信じる世論の形成に寄与した(2009年8月、民主党代表の鳩山由紀夫は、政権交代後に上杉を報道担当の首相秘書官か補佐官に起用する意向と報じられたとき、上杉は「打診されても受けるか分からない」と述べた[10])。

震災発生後の同年4月1日、「首相官邸を含む政府機関の多くが、再び記者クラブに所属しないジャーナリストを記者会見から締め出す動きを見せた」「福島第一原子力発電所事故に対する大手メディアの報道姿勢に失望した」などの理由を挙げた上で「私はジャーナリストとして、国家的犯罪に加担したくない」と語り、年内一杯でジャーナリストとしての活動を無期限休止する意向を明らかにした[11][12]
しかしながら、現実にはジャーナリスト活動を行っている。

2012年2月8日に、大手マスコミとマイクロ・メディアの橋渡し役「ミドルメディア」の自論を展開すべく株式会社NO BORDERを設立した。2012年3月11日からパイロット版『U3W』をネット配信開始。
3月7日から、文化放送「吉田照美 ソコダイジナコト」のコメンテイターとしてレギュラー出演している。

活動および話題、 問題となった記事

平沢勝栄との裁判


2003年11月、『週刊新潮』(2003年11月27日号)の中で上杉が執筆を担当した「パチンコ業者から平沢勝栄代議士に渡った4000万円」で、元警察官僚の平沢が朝鮮系パチンコ業者数社からあわせて4000万円のウラ献金を受け取っていたと書いた。
これに対し、平沢は新潮社に対し名誉毀損による損害賠償を求めて提訴した。2005年7月10日、最高裁が上告を棄却し、300万円の支払いを命じて新潮社の敗訴が確定した。


「麻生クーデター」説


2007年9月5日発売の『週刊朝日』で、安倍晋三首相(当時)が「麻生太郎自民党幹事長(当時)に騙された」と発言したという記事[13]を書いた。
麻生と与謝野馨内閣官房長官(当時)が首相を退陣に追い込む「クーデター」を起こしたという説(クーデター説)について麻生、与謝野は公然と反論した[14]。また、安倍も公式の記者会見で否定している[15]


麻生内閣に関する報道


2008年10月2日、自身のブログの中で、マスメディアが報道していた麻生内閣成立直後の「冒頭解散説」を、麻生首相周囲に解散の気配が無い事を理由に否定した[16]
その後、麻生首相が臨時国会冒頭の衆院解散を決意した可能性[17]があったが、上杉は麻生本人に解散の意向がそこまで強かったかについて、否定的な見解を示している[18]
その後、上杉は10月16日の補正予算の成立を理由に、初めて解散の可能性が出てきたことを述べたが[19]、麻生が実際に10月中旬以降の衆院解散を望んでいたという情報[20][21]が、新聞報道などで11月になって明らかにされた。


外務省による抗議


2008年10月21日発売の『週刊朝日』(2008年10月31日号)「麻生『外交』敗れたり」において、上杉は、担当記者とのオフレコ懇談会で外務省齋木昭隆アジア大洋州局長が、「いい加減な記事を書くな」と激高したこと、匿名の外務省幹部が「中曽根外相ほど無能な大臣も珍しい」と述べたことを書いた。
外務省は、10月22日、「(斎木局長の)発言内容も激高したという点も、いずれも事実と異なる」、外務省幹部の大臣に関する発言も、「幹部が上杉氏の取材を受けた事実は確認されず、信憑性は疑問だ」と、朝日新聞出版に対し、記事内容についての抗議を行い、訂正を求めた[22]
これに対し上杉は、『週刊朝日』(2008年11月7日号)において、懇談会の様子と斎木局長の発言内容[23]、匿名の外務省幹部の発言「『無能』じゃないよ、『低能』って言ったんだよ(笑)」[24]を記述し、反論している。
その後、鈴木宗男衆議院議員より、「外務省についてのマスコミ報道に対する同省の対応ぶりに関する質問主意書」が提出され、政府は、斎木局長の発言事実はなかったとする答弁書を閣議決定している[25][26]


民主党主催ゴルフコンペ


2008年10月28日、ジャーナリストの山岡俊介により、同年5月5日から翌6日に民主党主催のゴルフコンペに参加していたと報じられる。
上杉はゴルフに参加していた事実を認めた上で、「費用は自腹で払った」と釈明(領収書などの物的証拠は一般公開されていないが上杉は「山岡に見せた」としている。後述)し[27][28]、逆にゴルフをプレーするだけで癒着や接待とみなすことは、ゴルフ競技への無理解だと弁解した。
山岡は、取材対象相手とは節度ある付き合いをするのが鉄則であり、マスコミ関係者が抵抗感もなく参加することは問題だと批判した[27]

上杉は2009年2月11-13日のtwitterにおいて、これに関する一連の書き込みを行った。
たとえば「自民党秘書会ゴルフコンペにて現在トップスコア、と山岡俊介氏に強くアピールしてみる。ちゃんと正しい記事を書いてください、山岡さん(怒)。」との記述があり、twitterの字数制限のため簡略な記述だが「自民党関係者ともゴルフはしており、一党派に偏っているわけではない」との意味を込めたと見られる。

その後の記述ではウィキペディアのゴルフ問題の項目にもリンクを張った上で
  1. 二年前に抗議し、山岡は『ああ、直します』と約束しながら無視している
  2. コンペ参加費込み2万1千円(※の領収書という意味か)を当時山岡に提示した
  3. ジュニア時代含め自腹以外のゴルフは一切ないとも伝えた
と主張している。

朝日新聞記者批判記事


2008年12月、著書『ジャーナリズム崩壊』にて、朝日新聞の記者本多勝一と疋田桂一郎がフリージャーナリストの岩瀬達哉を名誉毀損で訴えたとして、名誉毀損で訴えたことは「言論の場での論争を放棄して、司法という権力に判定を委ねることは、反権力を標榜してきた「ジャーナリスト」にとって自殺行為」などと本多と疋田を批判した。
しかし、本多が週刊金曜日12月19日号にて「『ジャーナリズム崩壊』に見るジャーナリスト崩壊」と題して、疋田が岩瀬に対する反論書を自費出版して、岩瀬がその反論書を名誉毀損として訴えたというのが事実であり、本多と疋田が訴えたとする上杉の記事は事実と違うと反論した。


青山繁晴批判記事


著書『ジャーナリズム崩壊』にて、元共同通信社の青山繁晴が安倍政権崩壊時に涙を流したとして「政治権力との距離感を忘れた派閥記者」などと批判した。
しかし、青山は涙を流していない、間違っていると上杉に指摘した。上杉は調べて返事すると約束しているが、青山は自身のブログなどでその後、ただの一度も、ただのひと言も連絡はないとしており、『ジャーナリズム崩壊』を書く前に自身へ確認の取材がなかったことも含めて批判している。一方で上杉はツイッター上で青山には説明済みと発言している。


安倍、福田……ひ弱な二世をつくる「後援会」と題する記事について


2009年2月19日発売の『週刊文春』(2009年2月26日号)に「安倍、福田……ひ弱な二世をつくる「後援会」」と題する記事で、安倍元総理を批判した。
これに対して安倍事務所は、「事実無根のでっち上げの捏造記事」として週刊文春編集部を通じて上杉に公開質問状を送付した[29]。 「週刊文春」名義で回答したが、『当回答は、未公表の著作物ですので、そのままHPで引用、公開されることはお控えください。』と記してあったと、安倍事務所は安倍のホームページで批判した。
安倍事務所は、「週刊誌という媒体を使い大々的に安倍議員を誹謗中傷しておきながら抗議されると『それは密室でやりましょう』というのは虫が良すぎる」などと指摘し、HP上に上杉隆の主張を否定する証拠写真などを掲載し、上杉に再度公開質問状を3月5日付けで提出した。
しかし上杉は、安倍側が設定した回答期限に従わず、2度の「回答延期のお願い」をした上で[30]、3月22日に回答した。
さらに上杉が「二千人以上収容可能な事務所を設営」と書いた記事について、上杉は回答の中で「読売新聞」[31]から引用したと説明したが、安倍事務所は、週刊文春の記事に引用元が示されておらず、元の読売新聞の記事自体が誤りであり、さらに上杉はその記事の内容を改竄して記事をデッチあげた、と批判した[32]
また安倍事務所は、「当初は週刊文春編集部の影に隠れ、今度は文春の顧問弁護士に任せるという卑劣な手段に出た」「上杉隆氏のデタラメさがはっきりし、これは大変と弁護士に依頼されたのだと思います」と批判している[33]
これらに対し上杉は、「安倍晋三氏のHPの質問についての当ブログでの対応は、これから誠実に行なう予定だ」と述べ、「安倍氏からの数回にわたる通知書については、「週刊文春」編集部を通じて、正式に回答を出している」、「「逃げている」という安倍氏の筆者に対する批判は当たらない」とし、「強く抗議する」と自身のブログで主張している[34]
ただし、安倍と並べて抗議の対象となった阿比留は「彼から抗議や撤回要求の申し入れは来ていない」としている[35]

安倍事務所は2009年7月3日にホームページで、上杉のブログでの発言「責任ある回答は、必ず、届ける」を引用し、上杉から何の回答もなく嘘つきだと批判した[36]
これに対し、上杉は2010年1月7日のTwitterにおいて、自身に寄せられた「安倍に謝罪したのか」という趣旨のコメントに答える形で「多いんです。
wikipediaを鵜呑みにする方。反論せずに逃げているのは安倍元首相の方ですよ。wikiの記述が逆に書かれているだけ。ずっと放置してますけど(笑)」「過去10年間、安倍晋三氏には30回以上もの質問状やインタビュー依頼を送ったが、すべて拒否して逃げています」と発言。
この「2009年の週刊文春記事への安倍側の批判」と「自身の長年の、質問・取材要請への安倍の拒否」を対比させて問題をすり替え、「逃げているのは安倍である」とする主張は、2009年3月27日付のブログ記事でもなされている。
また、『たかじんのそこまでやって委員会』の動画でも、上杉は「安倍さんに対して現地で取材をしたときにこの件に対して直接反論したにもかかわらずホームページには反論を載せずに”一回も反論をせずに逃げ回っている”と嘘を書いている」(ただし上杉自身も反論を公表していない。)、「この記事で間違っていたのは壇上には上がっていたが真ん中ではなく端っこだった。これについては私の記述ミスです。それ以外の内容には間違いがない」と話している[37]


検察による週刊朝日編集長出頭要請発言問題


上杉が2010年2月3日のTwitterに、東京地検特捜部から『週刊朝日』編集部に出頭要請が来たことを記載した[38]
『週刊朝日』は公式サイト「週刊朝日 談」にて出頭要請の事実を否定した[39]
その後、ジャーナリストの岩上安身がTwitterに検察の出頭要請があったことは事実であることを記載し[40]、検察が記者クラブを通じて朝日新聞本社に「圧力」を掛け、それに屈した朝日新聞本社が、『週刊朝日』に対して、出頭要請は伏せ検察から抗議文が来たことだけにしろと指示したことも記載した[41]
上杉も、2010年2月3日午前10:56に東京地検から編集長に面会の要請があったことをTwitter上で記載している[42]。  

これに対し、元NHK報道局ディレクターの池田信夫は、朝日新聞東京本社のTwitterの出頭要請を否定した記載[43]などを元に、『「検察が週刊朝日に出頭要請した」とかいうガセネタがツイッターをにぎわした』、『こういう噂があとを絶たないのは、検察取材をしたことのない上杉隆氏などの素人が「検察がマスコミを自由自在に操っている』と思っているからだろう」と自身のブログにて上杉を批判した[44]
しかし後日ネット上にて上杉と討論した際、上杉から当該記述について取消しを求められ、自らの非を認めて取り消すことを約束した(しかし、2010年3月1日現在、記述は取り消されていない模様)。

『週刊朝日』は、その後、公式サイト「週刊朝日 談」に山口が経緯説明を載せ、自身が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」「事実はありません」と記したが、東京地検の谷川恒太次席検事から記事に対する抗議の電話があり、谷川より「こちら(検察庁)に来ていただけますか?」と伝えられたことは明かした。
この説明の中で、出張中の山口が当日出向くことが出来ない旨を伝えると、抗議書を送るとしそれが編集部に送られ、後日、山口は谷川に対して直接連絡が取れず、検察庁の広報官を通じて、「現時点でご足労いただく必要はありません。
また、改めての取材には応じかねます」との返事が来たことを明かした[45]
岩上は、検察と朝日本社に逃げ道を用意した編集長の談話であり、実際に起きたことは「出頭要請」であると記し[46]、上杉も、検察官という一捜査機関である谷川から「こちらに来ていただけますか」と連絡を受けたことは、出頭=本人自ら、ある場所、特に、役所などに出向くこと(広辞苑)であるから、紛れもなく「出頭要請」であると記している[47]


福田元首相批判記事


週刊朝日2010年4月16日号にて「『赤いファイル』(公文書)廃棄疑惑・・・外務省の゛暴挙゛を認めたのは福田元首相だった。」という記事を書き、福田元首相が公文書廃棄の共犯であると批判した。
しかし、福田元首相の事務所より「『公文書廃棄疑惑』についてはまったく知りません」「文書廃棄について了承を与えた事実はない」と抗議を受け、確認を怠り虚偽の記載をしたことを認め、週刊朝日5月26日号の巻末の編集後記の隣に小さく謝罪文を掲載した。


フジテレビ新報道2001の降板


『報道2001』から『新報道2001』にリニューアルされ、竹村健一の代わりに毎週出演していた。
しかし2009年3月15日の放送で検事の実名を挙げて検察を批判した際、笹川堯自由民主党総務会長、弁護士の宗像紀夫から猛抗議を受け、同番組を降板した。

ただし、過去にブログで『新報道2001』レギュラー出演と矛盾する発言を書いている。2008年12月30更新のブログでは、『新報道2001』から何度も出演依頼があったが断ったのでVTR出演した、と書かれており、毎週出演していたとの話と矛盾している[48]

2009年1月1日更新のブログでは、レギュラー出演をしているテレビ番組を今年度末までに降板すると書いていた[49]


東日本大震災関連


2011年3月に発生した東日本大震災直後より、twitterを通して現地から次々と寄せられる深刻な状況を、情報が取れず被害状況を過小評価していた政府へ伝えようと奔走した。
一方で、内容の正確性や事実関係の確認が疑問視されたリツイートもあり、“デマ”を流したなどの物議をかもした。池田信夫からはデマゴーグだと批判されている。

青山繁晴が3月中旬に現時点では東京は大丈夫と発言したのに対して安全デマだと断言し、INESがレベル7になると半径600kmも人が住めなくなる、東京だけでなく大阪も住めなくなると主張した(2011年4月12日、INESは暫定評価レベル7と発表された)。

2011年4月の東京都知事選における期日前投票期間中には、東京電力の第5位株主が石原慎太郎都知事であるとの誤報を発信した(これに対し、「【記者クラブ的お詫び】先程のリツイートに誤解をまねくものがありました。お詫びして訂正します。 」とのツイートは行われている)。

「火事場泥棒。言論の自由への挑戦。情報暗黒内閣の正体露に。 ⇒菅政権、震災のドサクサの中で「ネット規制強化法案」を閣議決定」との不確かな情報を発信(閣議決定したのは震災発生の数時間前)し、佐々木俊尚にデマだと指摘された。これに対しては自身ではなく週刊ポストの誤報であるとツイートしたり、誤報ではあるが日付を間違えただけでデマではないとしている。また、佐々木に対して政府公認安全デマアカウントに認定されましたと批判している。


自由報道協会主催の会見でルールについての議論


2011年10月20日、上杉が暫定代表を務める「自由報道協会」が主催した小沢一郎元民主党代表の記者会見が行われた[50]際に多くの質問者が出ることが見込まれたため出来るだけ多くの人に質問させる意図から「原則一人一問」というルールを設けていたが、読売新聞の恒次徹記者が、司会者の再三の注意にも関わらず複数の質問をしたところ、ルール違反したとして会見終了後、上杉は自由報道協会代表として岩上安身とともに「記者会見について司会者に従うこと」について恒次記者に暴言を交えながら詰問し、恒次記者が「回答が曖昧な場合、記者が続けて行う関連質問」として反論をしてやり取りの模様がネット上に動画で公開された[51][50][52]
恒次記者は最終的に別の協会メンバーの「次回からルール厳守をお願いします」という言葉にうなづいて会場を後にし、自由報道協会ルールを守ることに同意した模様[53]。読売新聞は「恒次記者の質疑応答時間は約4分30秒、その後に質問した4人の平均質疑応答時間は約5分」としている[51]

翌10月21日付けで、自由報道協会は代表の上杉隆名義で、読売新聞の恒次記者宛に、司会者の指示に従わなかったことを挙げて、「記者会見上のルールを無視し、進行を妨げたことは誠に遺憾」旨の抗議文を送付[54][51]

一方22日には上杉が恒次記者に対して複数回の暴言を吐いたことが同協会の健全性と信頼性を傷つけたとし、同協会幹事長及び会員に対して、代表辞任届を提出(不受理)[55]

読売新聞によると、読売新聞読者センターに寄せられた意見は10月26日時点で141件寄せられ、恒次記者を支持する意見があったが殆どは恒次記者に対する批判であり、批判意見には「読売バカ記者」「恥を知れ」と同じ文言のメールが多数あったとしている[51]

なお、上杉は2010年1月9日に「日本文化チャンネル桜」で放送された「新春討論・平成22年この国の行方」においては、「(日本の記者クラブでは)2問目の質問が出来ない。
これは日本だけですけど、こんなことをやっているのは。世界中で普通ジャーナリストは権力を追及する時に、相手がごまかした場合は次の質問者もその次の質問者も、ちゃんと答えるまで追求できる訳ですよね。これは。
ただ、日本だけは記者クラブの訳の分からんルールで、一人一問とかですね、助け舟を出すと。」と述べたことがある[56]


町山智浩による指摘


2012年1月27日、映画評論家の町山智浩がツィッター上で、上杉がレギュラー出演していたTBSラジオの番組「キラキラ降板の理由は、(海外で報道されていたメルトダウンの可能性を公表しなかった)東電批判をしたためでなく、震災前に上杉さんが放送で官房長官が機密費を「ネコババ」したと発言、長官の抗議に対してTBS(ラジオ)が上杉さんの意思に反して謝罪して揉めた件ですよね?」と質問した[57]
町山は、上杉が鳩山元首相主催勉強会にて、東京電力や電事連批判のあとに降板されられたと発言している記録、上杉が東電批判のせいで降板させられたと発言しているドイツのシュピーゲル誌のインタビューなどを挙げた。
ただ、上杉は、2011年4月、鳥賀陽弘道との対談(『報道災害 【原発編】』幻冬舎新書、2011年7月に掲載)において、「降板は、東電批判以外なら、官房機密費くらいしか考えられない」と、どちらの可能性もあることを示唆していた。
直接是正したいという上杉隆本人の希望により、2012年3月14日、『ニコ生×BLOGOS番外編』にて直接対談が実現。この放送は延べ19万人が視聴した。
これで、上杉隆が認めた事実は三つ。
①上杉のNHK時代という経歴は正社員ではなく、あくまで見習い(アルバイト)だったこと。
②NYタイムズには署名記事はひとつも書いていないこと。
③キラキラ降板については、震災前に既に話を聞いていた、ということ。

しかし、4月19日のドイツ国際放送のインタビューでは、TBSラジオの番組で福島第一原発の3号機から放射能が出ていると話したら降板になった、と再び語っている。


このままのペースで行くと2011年の自殺者が5万人を超える


2011年8月11日に行われた自由すぎる報道座談会6内で、ある政治家が調べたんですけど4月5月6月7月、このペースで行くと自殺者が5万人を超える。放射能事故を起こすと自殺者が増えるのに政府やマスコミは無視していると発言した。
この発言に対して、ジャーナリストの江川紹子により、警視庁が公表している自殺者情報を元に6月、7月の自殺者は減っているためこのペースで行っても5万人を超えないと批判された。

その後、2012年3月11日に行われた号外!ニコニコニュース「3.11特集号」~あの日から1年~内で、この件について4月、5月のペースで行くと5万人を超えると6月か7月に話した。
その後、6月、7月と自殺者が減った。自殺者5万人を超えるというのは4月、5月ペースでの話だと釈明した。


朝日新聞記者Twitter禁止デマ


朝日新聞の2012年2月9日の記事「記者、つぶやく つながる ツイッター開始、読者と対話」で「朝日新聞は(2012年1月下旬、)ツイッターで記者が情報発信する試みを始めた」とあったことについて、『Voice』2012年5月号における茂木健一郎との対談(「ミドルメディア」で日本の言論界が変わる)において「記者はツイッターをしてはいけないという言論封殺を天下の『朝日新聞』ですらしていた」と発言した。

これに対し、現職朝日新聞記者である伊丹和弘は「2012年2月9日の記事は2011年1月から朝日新聞は個々の記者によるTwitter配信を会社として促進する趣旨のものであり、記者の実名でのTwitter利用を禁じたことは一度もない」「2010年8月制定された朝日新聞のTwitterに関するガイドラインは『Twitterの個人利用は基本的に自由だが、朝日新聞記者など社名を名乗る場合は事前に上司の了解が必要』というもの」「会社が記者のTwitter利用を促進する2012年1月以前から朝日新聞記者が実名でTwitterをし始めた例として、2009年7月以降の丹治吉順、2010年6月以降の伊丹和弘、2010年8月以降の神田大輔の例がある」とし、上杉の発言について事実誤認があるとして訂正を求めている[58][59][60][61][62]


郡山市役所の空間線量


夕刊フジの連載で上杉隆が郡山市役所の空間線量が1.8マイクロシーベルトを超えた。
一方、「福島民報」や「福島民友」では同じ日の同じ場所での空間線量が0.6マイクロシーベルトになっている。数値が低いのは計測前に水洗いをしているからと書いている。
しかし「福島民報」や「福島民友」では郡山市役所での計測結果を載せておらず、別の場所にある郡山市合同庁舎の空間線量しか載せていなかった。


「記者クラブ制度」糾弾


多くの著書や連載で、「記者クラブ」が省庁などの記者会見を主催し、日本の大手メディアに属す記者クラブメンバーのみの参加者・質問者、という日本の制度を批判している。
世界レベルで見てもニューヨークタイムス、ワシントンポストなど海外大手メディアも記者クラブには入れないため、直接会見に参加できないことでアジア支社の日本完全撤退・縮小となる原因となった。[63]
なお、記者クラブ制度は、世界の中で日本とアフリカ・ガボン共和国の2カ国のみに存在する制度である。
記者会見でも政治家、大臣に対してこの問題に関し、開放を求める立場から質問。2009年の民主党による政権獲得以降、複数の省庁が記者会見をオープンにしたり、フリー記者やネットメディアを対象とした懇談を行うきっかけとなった。

その中でも有名なものに、2009年3月24日、民主党・小沢一郎代表の記者会見がある。
同会見で上杉は「政権交代が実現したら記者クラブを開放し(続け)て首相官邸に入るのか」と質問。
小沢は 「日本はもっとオープンな社会にならなくてはいけない。(略)どなたでも会見にはおいでくださいということを申し上げております。この考えは変わりません」と回答した。[64]。同種の質問を、その後同党の代表になった鳩山由紀夫にもぶつけ、オープンな会見への方針に変化が無いとの言葉を引き出した。民主政権になり一部の記者会見ではオープンになったものの、菅内閣時代に再度記者クラブ独占となった。

2011年1月26日に自由な記者会見の場を提供すべく「自由報道協会」を結成した[65]


福島第1原発3号機の爆発隠蔽


日本の新聞やテレビは3号機が爆発した時の映像を公開せずに隠蔽していると批判しているが、実際には各社報道をしていた。 またこの時、枝野官房長官が「3号機でポンという爆発的事象がありました。」と爆発がなかったかのような発言をしたと言っているが、 この発言は3号機についてではなく2号機についての発言を3号機だと言い換えている。


ウィキペディアへの疑問


自らのブログやtwitterで、自身の項目内容が間違っていると主張して、ウィキペディアへの疑問を投げかける。曲解・誤解して書かれると事実と離れたことが出回ってしまう可能性があると示唆する。
自身のブログでは、「日本版『ウィキペディア』なんか、酷いもんです(笑)。 いつものように放置ですが、本物の英語版『wikipedia』とは大違い。 実は、書き込んでいる人を調べてもらいました。( -д-)ノ なんと、記者クラブ所属の○○記者と○○○記者などを発見。(笑)」と語っている[66]

2010年1月7日に記述された上杉の公式twitterでは、安倍晋三について書いた記事の話題から、上杉のウィキペディア批判となり、

  1. 「wikipediaを鵜呑み」にする人間が多い。
  2. 反論せずに逃げているのは安倍元首相だが、「wikiの記述が逆に書かれている」
  3. 講演会でウィキペディアが資料として配られるなど実害がある

など不満の例や経験を挙げ、「そろそろ、対応しようかな。時間のかからない効果的な方法があったら、誰か教えてください」と表明した。だが、その約12時間後、従来と同じく「放置する」ことを基本方針とすることを記している[67]

受賞歴
第8回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞 (2002年)
企画賞 - 「一連の田中真紀子追及記事」(週刊文春2001年5月3日・10日合併号)
著書
  • ■石原慎太郎「五人の参謀」(小学館文庫、2000)
  • ■田中真紀子の恩讐(小学館文庫、2001)
  • ■田中真紀子の正体(草思社、2002)
  • ■議員秘書という仮面 - 彼らは何でも知っている(小学館文庫、2002)
  • ■小泉の勝利 メディアの敗北(草思社、2006)
  • ■官邸崩壊 安倍政権迷走の一年(新潮社、2007) - 韓国語版も発売された。
  • ■ジャーナリズム崩壊(幻冬舎新書、2008)
  • ■宰相不在 崩壊する政治とメディアを読み解く(ダイヤモンド社、2009)
  • ■政権交代の内幕 民主党は日本をどう変えるのか (PHP研究所 2009.10)
  • ■民主党政権は日本をどう変えるのか (飛鳥新社 2009.6)
  • ■世襲議員のからくり (文春新書、2009) 
  • ■記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争(小学館101新書、2010)
  • ■暴走検察 週刊朝日取材班共著 (朝日新聞出版 2010.4)
  • ■結果を求めない生き方 上杉流脱力仕事術 (アスコム、2010.9)
  • ■上杉隆の40字で答えなさい (大和書房、2010.10)
  • ■小鳥と柴犬と小沢イチローと 日本を面白くしてしまった政治家47人の罪と罰(ビジネス社、2010)
  • ■なぜツイッターでつぶやくと日本が変わるのか マイクロジャーナリズムが政治とメディアを揺らす8つの話 (晋遊舎新書、2010.6)
  • ■永田町奇譚 もしニッポンの総理が東スポを愛読してたら… (藤本順一共著 扶桑社 2010.12)
  • ■ウィキリークス以後の日本 自由報道協会(仮)とメディア革命 (光文社、2011.3)
  • ■わたしの3・11 あの日から始まる今日(茂木健一郎他共著毎日新聞社 、2011.5)
  • ■この国の「問題点」 ~続・上杉隆の40字で答えなさい~(大和書房、2011.6)
  • ■放課後ゴルフ倶楽部(ゴルフダイジェスト社、2011.8)
  • ■報道災害【原発編】事実を伝えないメディアの大罪 (烏賀陽弘道共著幻冬舎、2011.7)
  • ■だからテレビに嫌われる(堀江貴文共著大和書房、2011.9)
  • ■リアルタイムメディアが動かす社会: 市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平(八木啓代他共著東京書籍、2011.9)
  • ■有事対応コミュニケーション力 生きる技術!叢書(鷲田清一 他共著技術評論社 、2011.11)
  • ■国家の恥 一億総洗脳化の真実(ビジネス社、2011.11)
  • ■私たちは、原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています(飯田哲也 他共著ロッキングオン社、2011.12)
  • ■新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか(PHP研究所、2012.2)
  • ■大手メディアが隠す ニュースにならなかったあぶない真実(PHP研究所、2012.3)

執筆・対談掲載雑誌


  • 週刊朝日
  • 週刊文春
  • 週刊プレイボーイ
  • SAPIO
  • サイゾー
  • Voice
  • GOETHE ゲーテ
  • Grazia

主な出演番組


【テレビ


■朝日ニュースター

ニュースの深層(2012年3月まで火曜日レギュラー司会)

■日本テレビ

  • 太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中
  • 中居正広の、10文字で解説できたら格好いい、ニュースのギモン
  • 情報ライブ ミヤネ屋

■テレビ朝日

  • ビートたけしのTVタックル
  • 朝まで生テレビ!

■フジテレビ

  • 情報プレゼンター とくダネ!
  • ニュースJAPAN
  • めざましどようび
  • サキヨミ
  • 新報道2001

毎日放送

  • 久米宏のテレビってヤツは!?

■東京MXテレビ

  • 5時に夢中!(毎月最終金曜日「マジだったのか!上杉隆の学べるブラックニュース」レギュラー)

■北海道文化放送

  • U型テレビ(月曜コメンテーター)

■日本文化チャンネル桜

  • 新春討論・平成22年この国の行方

【ラジオ】


JFN

  • 高野孟のラジオ万華鏡

■TBSラジオ

  • 小島慶子キラ☆キラ(火曜日15時台)

■文化放送

  • 吉田照美 ソコダイジナトコ(水曜日)

■Tokyo FM

  • TimeLine (水曜日)

【ネット配信


NO BORDER

  • U3Wパイロット版
注
  1. ^ 引用エラー:無効な <ref> タグ。「official」という名前の引用句に対するテキストがありません
  2. ^ 上杉隆をうならせた ジャーナリズムの先輩たちの言葉
  3. ^ 『ジャーナリズム崩壊』
  4. ^ 自由報道協会インターン主催「上杉隆模擬記者会見」
  5. ^ 『官邸崩壊』、『ジャーナリズム崩壊』の経歴欄
  6. ^ a b 政治とメディアの世界を“いったりきたり” - Business Media 誠
  7. ^ 国会便覧〈平成11年2月新版〉(日本政経新聞社) ISBN 4889340971
  8. ^ 『ダカーポ』(マガジンハウス)2007年11月21号「ジャーナリスト入門 上杉隆」
  9. ^ 『論座』(朝日新聞社)2004年10月号『「赤、白?それともモルヒネ?」チュニジア、フランス、日本の入院体験記』
  10. ^ “【09衆院選】鳩山氏、上杉、寺島両氏を首相秘書官などに”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2009年8月28日). http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090828/elc0908280119000-n1.htm 2010年2月6日閲覧。
  11. ^ 無期限活動休止のおしらせ - 上杉隆公式サイト・2011年4月2日
  12. ^ 東京スポーツ・2011年4月3日付 19面「永田町特別ワイド 藤本順一vs上杉隆」
  13. ^ 「筆者〔上杉〕は官邸周辺から、安倍が「麻生に騙された」と苦い言葉を漏らす場面を聞いている。そもそも、身内だけに漏らした不満の言葉だ」(『週刊文春』2007年9月27日)。
  14. ^ 読売新聞2007年9月24日
  15. ^ 読売新聞2007年9月24日
  16. ^ 「麻生首相に解散の気配なし - 解散日程を勝手に捏造したマスコミの困惑」『ダイヤモンド・オンライン』2008年10月2日
  17. ^ 「『文藝春秋』2008年10月10日、「10月上旬解散」念頭にあった?=麻生首相が月刊誌に手記」『時事通信』2008年10月28日。
  18. ^ 『週刊新潮』2008年10月30日号。「文春「麻生論文」の筆者は朝日編集委員の噂」
  19. ^ 『東京脱力新聞2.0』2008年10月17日。「やっと正式な解散風が吹いてきた」
  20. ^ 「麻生首相:先月13日解散明言 心変わりで公明と亀裂」『毎日新聞』2008年11月1日。
  21. ^ 「解散「やろうやろう」=先月10日、首相が細田氏に」『時事通信』2008年11月1日。
  22. ^ 「外務省が週刊朝日に異例の抗議、訂正求める」『産経ニュース』2008年10月22日。
  23. ^ 『「情報公開もしないくせに、われわれの紙面を批判する。到底容認できない-」 毎日新聞の記者がこう詰問した直後、斎木局長は顔を紅潮させて反論した。「だから、私は自分の非を認めたじゃないか。ミスリードしたって認めたじゃないか」』「「外務省が本誌に抗議」に反論する!」『週刊朝日』2008年11月7日号。
  24. ^ 上杉は反論記事で、その匿名の外務省幹部に再び確認、「『無能』じゃないよ、『低能』って言ったんだよ(笑)」と、中曽根大臣を批判したことは認めたと主張した。「「外務省が本誌に抗議」に反論する!」『週刊朝日』2008年11月7日号。
  25. ^ 「政府答弁書で「週刊朝日」上杉記事を否定」『産経ニュース』2008年11月11日
  26. ^ 「外務省についてのマスコミ報道に対する同省の対応ぶりに関する質問主意書」衆議院 質問答弁経過情報
  27. ^ a b 「軽井沢1泊ゴルフコンペ付き 民主党のマスコミ接待リスト出回る」『ストレイ・ドッグ(山岡俊介取材メモ)』2008年10月28日。
  28. ^ 「民主党のマスコミ接待リスト 上杉隆氏の釈明」『ストレイ・ドッグ(山岡俊介取材メモ)』2008年11月3日
  29. ^ <相次ぐ週刊誌の事実無根の中傷・捏造記事><週刊文春>上杉隆氏に抗議・通知書送付 (安倍晋三のホームページ)
  30. ^ 上杉隆氏 公開質問状に対する回答期限守らず(安倍晋三のホームページ)
  31. ^ 読売新聞1993年7月11日号「二千人以上を庭に集めることができる巨大事務所を設営、名簿の再チェック、ローラー作戦を展開」
  32. ^ 『上杉隆さん!答えて下さい』<追記>
  33. ^ 《上杉隆氏の嘘 動かぬ証拠》 (安倍晋三のホームページ)
  34. ^ 東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) ~ゴルフとスパと、時々、永田町2009.3.27【謝罪要求】 自称「保守政治家」を嗤う 万国の「自称ジャーナリスト」(JJ)よ、分裂せよ! 【反撃開始】
  35. ^ 上杉隆氏の低次元なレッテル貼り癖について
  36. ^ 変わらぬ上杉 隆氏の本性
  37. ^ 【無料動画】「官房機密費問題」上杉隆の反論(2010.07.18)
  38. ^ 上杉隆 (2010年2月3日). “旧き友を暢気にランチに誘っていたら、東京地検特捜部から編集部に出頭要請がきた昼下がり。”. uesugitakashi. 2010年2月6日閲覧。
  39. ^ 『週刊朝日 談』10/02/03「2月3日午前、山口一臣編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がインターネット上、ツイッター上で飛び交っておりますが、出頭要請はありません」とした。
  40. ^ 岩上安身 (2010年2月3日). “検察から、週刊朝日編集部に、出頭要請があったのは、事実だった!”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “検察から、週刊朝日編集部に、出頭要請があったのは、事実だった!(中略)以下が真相。今日の午前中、検察から週刊朝日に対して、文書が届き、すぐに来てくれ、捜査妨害だ、話を聞きたいと。明白な出頭要請が。”
  41. ^ 岩上安身 (2010年2月3日). “重要!2 この出頭要請情報は、たちまち外部にも流れたが、これに対して、検察は記者クラブを通じて、朝日新聞本社に圧力。”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “この出頭要請情報は、たちまち外部にも流れたが、これに対して、検察は記者クラブを通じて、朝日新聞本社に圧力。なんと朝日新聞本社は、この圧力に屈して、週刊朝日編集部トップに対し、抗議文が来たことだけにして、出頭要請は伏せろと指示。”
  42. ^ 上杉隆 (2010年2月3日). “10:56 東京地検「抗議書」を週刊朝日に送信。現場検事の名指しについて「捜査妨害」と厳重抗議。”. uesugitakashi. 2010年2月6日閲覧。 “10:56 東京地検「抗議書」を週刊朝日に送信。現場検事の名指しについて「捜査妨害」と厳重抗議。同時刻、電話にて同編集長との面会を要請。地方出張のため「明日以降」と地検側に回答。”
  43. ^ 朝日新聞東京本社編集局 (2010年2月3日). “2月12日号の週刊朝日の記事「子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」について、編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がツイッターで飛び交っておりますが、”. asahi_tokyo. 2010年2月6日閲覧。 “2月12日号の週刊朝日の記事「子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」について、編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がツイッターで飛び交っておりますが、出頭要請はありません。週刊朝日編集部に確認したところ、東京地検からこの記事への抗議書が届いたとのことです。”
  44. ^ 池田信夫 (2010年2月3日). “マスコミの「立件バイアス」”. 池田信夫blog part2. 2010年2月6日閲覧。
  45. ^ 山口一臣 (2010年2月6日). “お騒がせして申し訳ありません”. 週刊朝日 談. 朝日新聞出版. 2010年2月6日閲覧。 “『2月3日は、わたし=週刊朝日編集長・山口一臣=が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」という情報がネット上を駆け巡り、読者をはじめ関係者のみなさんに大変なご心配をおかけしました。すでにコメントを出させていただいているとおり、そのような事実はありません。』
    『指定された電話番号に連絡すると、次席検事の谷川恒太氏につながりました。谷川氏は「さっそく電話いただいて、ありがとうございます」と丁寧な応対で、用件を聞くと、週刊朝日2月12日号(2月2日発売)に掲載した上杉隆さん執筆の「子ども〝人質〟に女性秘書『恫喝』10時間」という記事に、事実でないことが書かれているので抗議したいとのことでした。 こうしたトラブルはよくあることなので、「わかりました。で、どうすればいいですか」と聞くと、「こちらに来ていただけますか?」ということでした。わたしとしては検察庁に出向くのはいっこうに構わないので、「わかりました。ただ、きょうは出張で九州にいるので、戻ってからでもいいですか?」と聞くと、「九州ですか......」と予想外の返事にちょっと絶句したようでした。』”
  46. ^ 岩上安身 (2010年2月5日). “もちろん、実際に起きたことは「出頭要請」ですし、読めばそうとわかります。”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “もちろん、実際に起きたことは「出頭要請」ですし、読めばそうとわかります。おそらく、検察と朝日本社に「逃げ道」を用意してあげたのでしょう。山口さんとは面識がありませんが、大人ですね。”
  47. ^ 上杉隆 (2010年2月5日). “山口一臣さ~ん、「(編集長が)こちらに来てください」(谷川次席検事)は完璧に「出頭要請」ですよ、と認識の甘さに抗議してみる真夜中の風の中の私(寒)。”. uesugitakashi. 2010年2月7日閲覧。 “山口一臣さ~ん、「(編集長が)こちらに来てください」(谷川次席検事)は完璧に「出頭要請」ですよ、と認識の甘さに抗議してみる真夜中の風の中の私(寒)。 cf: しゅっ‐とう【出頭】 本人自ら、ある場所、特に役所などに出向くこと。(広辞苑)”
  48. ^ 荒れる自民党、第二次補正予算は? 新報道2001(フジテレビ) 【先々週】
  49. ^ 【年頭所感】 2009年を迎えて 「反省」と「決意」と「宣言」  【テレビ撤退宣言】
  50. ^ a b 小沢一郎民主党元代表・全国民参加型記者会見 主催:自由報道協会
  51. ^ a b c d “小沢元代表記者会見で読売記者へ激しい抗議”. 読売新聞 (2011年10月27日). 2011年10月27日閲覧。
  52. ^ “「ルール違反だろ!」小沢一郎会見で″場外乱闘″ 上杉隆氏らと読売記者が口論に”. BLOGOS (2011年10月20日). 2011年10月22日閲覧。
  53. ^ “「おんだらぁ。なめてんのか、この野郎」 上杉隆氏暴言で自由報道協会代表「辞任」”. J-CASTニュース (2011年10月24日). 2011年10月27日閲覧。
  54. ^ 自由報道協会主催記者会見でのルール違反について
  55. ^ 辞任届
  56. ^ 上杉隆氏ほか、「記者クラブ問題ほか、日本の偏向報道について」
  57. ^ [1]
  58. ^ Twitter / @itami_k 2012年4月19日16:20
  59. ^ Twitter / @itami_k 2012年4月19日16:20
  60. ^ Twitter / @itami_k 2012年4月19日16:21
  61. ^ Twitter / @itami_k 2012年4月19日16:21
  62. ^ Twitter / @itami_k 2012年4月19日16:25
  63. ^ 「[記者クラブ崩壊]」
  64. ^ 小沢代表から記者クラブ開放の言質をとった記者会見での質問
  65. ^ ついに「日本自由報道記者クラブ協会」を旗揚げ!週刊上杉隆・第159回
  66. ^ 東京脱力SPORTS & RESORT(試作版)2009/11/3)
  67. ^ 『上杉隆(uesugitakashi) on Twitter』 2010年1月7日午前3:32/3:34/3:36/午後2:59には、「wikipediaについて。基本方針が確定しました。放置。理由はめんどくさいし、どうでもいいから。じゃあ訊くなよ、と自分でつっこんでみる。みなさん、すみません(謝)。 」と記している。

参考文献
  • 「上杉隆インタビュー」『ダカーポ』No618、マガジンハウス社

外部リンク

【サイト】

公式サイト
メールマガジン

【動画】

SPA対談 上杉隆×ホリエモン 2009.04 - YouTube ホリエモン チャンネル
ウィキペディア
上杉 隆
  日本人は騙されていた!
 記者たちの「癒着メモ」を暴く 要約
まず、みなさんに聞きたいことがある。とくに複数の新聞を購読している人は、次のような疑問を感じたことはないだろうか。

なぜ日本の新聞は、どれを読んでも内容が同じなのだろうー

 一例を挙げたい。未曾有の大震災が東日本を襲い、福島第一原発事故によって日本じゅうが震撼した二〇一一年三月、当時、内閣特別顧問を務めていた笹森清氏の発言が話題を呼んだ。連絡の遅れに業を煮やした菅直人首相(当時)が東京電力本社に乗り込み、幹部たちを一喝する一幕が去る十五日にあった直後のことである。


各社の報道は以下のとおり


 16日、笹森清内閣特別顧問と会談した時には「もし福島第一原発が本当に最悪の事態になった時は、東日本が潰れるということも想定しなければならない」と訴えた。(『朝日新聞』二〇一一年三月十八日付)


「本当に最悪の事態になったときには東日本がつぶれるということも想定しなければならない。(東電は)危機感が非常に薄い」菅直人首相は16日夜、首相官邸で会談した笹森清内閣特別顧問に強い危機感を吐露した。
(『毎日新聞』二〇一一年三月十七日付)


 首相と16日、首相官邸で会談した笹森清内閣特別顧問によると、首相は「福島原発が最悪の事態になった時には東日本がつぶれることも想定しなくてはならないが、(東電は)危機感が非常に薄い。自分は原子力には詳しいので乗り込んだ」と語ったという。(『読売新聞』二〇一一年三月十七日付)


 首相は周辺に「来電には福島第一原発が最悪の事態になったら東日本がつぶれる、という危機感が薄い。だから乗り込んだんだ」と力説しているという。(『日本経済新聞』二〇一一年三月十八日付)


「東電の危機感が薄い。だから乗り込んだ」首相は16日夕、官邸を訪ねた内閣特別顧問の笹森清元連合会長に向かって、こう胸を張った。続けて東京工大応用物理学科卒の経歴を誇るように言った。「ぼくはものすごく原子力に強いんだ」(『産経新聞』二〇一一年三月十八日付)


「最悪の事態になった時は東日本が潰れることも想定しなければならない」

 16日に首相が内閣特別顧問の笹森清元連合会長に不用意に漏らしたこのこ一言が国民に動揺を広げた。(『産経新聞』二〇一一年三月二十一日付)


この奇妙な一致の背景には、日本の記者クラブメディア、さらには政界・官界との恐るべき癒着が潜んでいる。


記事を書くためのメモの存在


その癒着の構造を説明する前に、これらの記事がいったい、どのような手順で書かれたのか、そのことから解き明かしていく必要があるだろう。じつは、これらの記事は次のようなメモをもとにして執筆されたものなのだ。

■新聞、テレビ業界には、どの社にも同じようなメモが存在する。
■これらは取材現場にいる記者によって作成され、デスクに送られる。
■それを見ながらデスクが記事を作成する。


記者の評価は「たくさんメモを上げること」


と、すでにここで驚かれる方がいるかもしれない。じつは日本の記者は、取材した人間が自分で記事を書かない。
彼らがやっていることは、話を聞きながらメモを起こす聞き打ち
ICレコーダーに録音して、あとで詳細な起こしを行う書き起こしである。 いわば速記起こし屋なのである。

そうしたメモを、現場の記者たちはひたすらデスクに上げつづけるのだ。
そうした機械的な仕事は、時事通信や共同通信などの通信社の仕事であり、 新聞記者たる者がそれと同じ行動をするのは、意味が違うのである。
政府だろうが、東電だろうが、会見をしている人物の発言が完全にウソだとわかっていても、その発言どおりに書き起こせば、それで彼らの仕事は完了してしまうのだ。現場の記者の評価基準は『なんでもいいから、たくさんメモを上げること』であり実際にはその多寡が彼らの出世まで規定してしまうのである。
思考停止を続けていくうちに、彼らは思考力をどんどん劣化させてしまう。
思考停止の記者たちが書いたメモが、仮にあるデスクが4人の部下を抱えていたとすれば、その4人から継続的に届く。それを見ながらデスクは記事を書くのだが。彼自身は現場に行かないから、その記事には現場観がない。だから、日本の新聞、テレビには、そうした意味での飛ばし記事や間違いが増える。あるTVのアンカーマンやコメンテーターが「この情報はおかしいんじゃないか」と思っても、彼らはそこで異論を差しはさめないだろう。現場の人間がきっちりと取材したうえで、この情報が上がってきていると思い込んでいるからだ。
さらに質(たち)が悪いことに、情報に間違いがあっても記者クラブは決して認めようとしない。現場の記者は 「私じゃなくて、デスクが作ったんです」デスクは 「現場の取材が間違っているから、こうなんだ」と言い訳するだろう。
つまり、このシステムでは、誰に責任の所在があるのか、まったく不明確なのである。海外では、署名記事には署名した記者が最終的な責任をもつ。デスクに「修正しろ」と言われても、みずから書いた署名記事を直さないこともある。
ところが、日本では上司自ら勝手に文章に手を入れてしまうことが多い。署名記事でも、その最終責任はどこにあるのか、不明なままなのである。いかに日本のジャーナリズムが、「ウソ」を報道しておきながら責任をとらないか・・・・。


番記者の間で交わされる談合


そのような速記を上司であるデスクに上げる時、現場の記者たちは文中に「★、●、◎」 などの印をつけたり、太字や斜線にしたりすることがある。
単なるベタ起こしであれば、デスクは速記を全て読まなければならないが、印が打ってあれば、その個所がポイントだということが一目瞭然である。
そのような印から、実際に掲載される記事がつくられていく。
しかし、そのメモが上がるのは、自社のデスクだけではないのか?
どうして全ての社で、同じような表現になってしまうのか・・・・。
不思議なことに、この国では、ある特定の業界だけが談合を許されているのである。
本来なら談合を厳しく取り締まるはずの官僚組織、そのチェック機能を果たすはずのメディア業界こそがそれだ。
閣僚クラスの政治家には、メディア各社が一人ずつ番記者をつけるようになる。番記者たちは四六時中、行動を共にするわけで、必然的に記者同士の交流が生まれる。
その内に、「申し訳ないけど、今日の夜は女房とご飯を食べにいかなきゃならないから夜回りに出ておいてくれないか。代わりに明日の朝は俺が行くから・・・」と異なる社の記者同士が取引を始めるようになるのだ。
そのような取引は、徐々にシステム化されていく。
「起こしをお願いね」と言われた記者が、取材で話を聞きながら速記を起こす。(聞き打ち)次に彼は、各社の番記者に、その内容をBCCで一斉メール配信する。その後、「ICレコーダー録音と、起こしお願いね」という段になる。(書き起こし)取材内容を丁寧に文字起こして、時間差で翌朝や夕方に番記者全員に届くのである。これこそが、各社の記事がほぼ同じになってしまう構造の根っこにある「談合」なのだ。
もちろん、表現が各社すべてまったく同じになっていてはマズイので使用部分を微妙にすり合わせたりすることもある。あるいは語尾を変える。フォントを変える。自社のフォーマットに落とし込むといった工夫をメモに施す記者もいる。
この程度の認識で仕事をしているのが、日本のジャーナリストと呼ばれる記者たちの実態なのである。大臣が記者会見するときに、みなこぞってICレコーダーを置きに行く光景は世界広しといえども、この日本だけなのだ。


 もくじへ    
政府に情報を売るマスメディア
 

官房機密費の意外な使途


前章で、現場の記者たちが取材メモを回覧し、デスクのもとに日々、届けている実態を暴いた。じつはそのようなメモは、社内において、デスクの上司、すなわち政治副部長、政治部長、編集局長、あるいは編集委員や論説委員、解説委員にまで上げられていく。社としての情報共有が、その名分である。つまり、メモを見られる人が、新聞こテレビ全社を合わせれば、何十人規模で存在していることになる。

 そして恐ろしいことに、なかには、そのメモを政府側に「売ってしまう」人間がいるのだ。たんにお金がほしい、あるいは特定の政治家の関心を買う、逆にその政治家から情報をもらうなど、理由はいろいろあるだろう。

 かつて、ある通信社は、それを社ぐるみで堂々とやっていた。
国会近くにつくられたある会館の一室に、記者たちが上げたメモが夜な夜な集まる。驚くべきことに、そこに内閣官房の役人などが来て、自由に閲覧できるようになっていたのである。

それに対する謝礼として、ひと月に数百万円程度が官房機密費から拠出されていたとの証言も得ている。もちろん官房機密費は国民の税金だが、そのお金がメディアの幹部やデスクの「お小遣い」になっていたのだ。
会社側もそうやって「アルバイト」をしていることは知っているが、見て見ぬフリをする上層部の人たちもみな、かつて同じようなことをやってきた経緯があるからである。

 たとえば内閣情報調査室にしろ、公安調査庁にしろ、情報収集をする人間だけで、官僚機構は何十人ものスタッフを抱えている。そのような役人がさまざまなメディアの記者から情報を集め、それを自分の上司に上げる。そうすることで、例のメモは官邸中枢まで即日のうちに届くのである。とくに、官僚機構のトップに近いところにいる人物のあいだでは、つねにその情報が共有されていると見るべきだろう。

 かつて『週刊ポスト』で官房機密費問題を追及した際、自民党政権時代の官邸関係者は私にこう語った。

 「官邸は、機密費で各新聞社の幹部からメモを買っていた。メモを集約するのは毎日の日課だった。月一回ぐらい、情報の対価として機密費から100万円程度を支払っていた」

のシステムは、官房長官の名前を冠して「野中システム」「後藤田システム」と呼ばれた。
実は、膨大な量にのぼる各社のメモが、あるソースを通じて私の元に送られ続けている。記者たちが懸命に作り上げたメモは、24時間以内にデータとして私に届く。ジャーナリスト生活12年で、少なく見積もってもA4用紙40万枚にもなる。 もちろん記者たちは、そのように使われているとは寝耳に水だろう。
政治家の一部でも、資料の存在は認識されているかもしれないが、まさかそれが官僚機構によって集約されているとは夢にも思わないのではないか。
メモをみていると「オフで話す政治家」と「そうでない政治家」に二分される。小沢一郎氏、岡田克也、原口一博氏は、オフ懇にはほとんど応じない。
記者クラブの問題点を認識し、フリーランスや海外メディアに会見を解放してきた政治家にしてみれば、番記者相手にオフ懇をやることはアンフェアだと考えている。一方、菅総理時代に最も多くオフ懇を行ったのが仙谷由人氏であった。


本音が官邸中枢に筒抜けに


一連のメモを得た官邸中枢はいったい、どのようにその情報を活用しているのだろうか。まずは、政権にとって都合の悪い発言をしている政治家への対応を考えることができる。
例えば、世論を二分している消費税やTPPなどの問題について、どの議員がどのような立場にいるか瞬時に判別できる。
そこで、ある政治家の意見が政権の方針と異なり、将来的にそれが問題になりそうだとなれば、官僚に「レク」をさせて態度を翻(ひるがえ)すように洗脳する。ひどい場合には、スキャンダルを仕掛けて、その政治家をつぶすことも可能だ。あるいは、ある政治家が問題を起こしたとして、それにどう対応するつもりなのかといったこともリアルタイムで把握できる。この議員はいずれ辞めるのか、あるいはガチンコで勝負を仕掛けてくるのか。そんなことまで判断できるのだ。(参考として、松本龍復興大臣の失言、辞任問題について言及してます)


世論操作に奉仕する構造


政治家対策と同じく、このメモは最高の「メディア対策」にもなる。
これらを見れば、ある社の記者がどのような方針で取材しているか、手に取るようにわかる。
例えば、消費増税をしたい政権があったとして、減税にこだわるメディアがあれば「そんなことを言っていいのか」と言える。
そのメディアがNHKだと仮定するならば「おたくの土地は国有地の払い下げだよね」と脅かすこともできる。それに対してメディアは何も言えない。

さらにそれらの情報の一部を、官邸中枢は評論家やコメンテーターに逆流させる。争点となっている事項について、TV番組などでコメントさせるのだ。 様々な形をとりながら、政府は世論を操作していく。
「ジャーナリズムは反権力」と謳う新聞も、無自覚のうちに一生懸命、権力に奉仕している。絶対にはずしてはならないのは、この記者クラブ制度は、メディアと権力双方にとってメリットのある仕組みになっている点である。
権力の側は、新聞やTVを使って「世論操作」を仕掛けていく。見事な仕組みだ。メディア側は、「再販制度を維持できる」「官房機密費をめぐる利権」である。
だからこそ記者クラブは、新規参入を試みるメディアに対して、徹底的に排除しようとする。


くだらない彼らの本質


最後に、もう一つメモを紹介しよう。時は麻生政権末期である
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清水滴一郎は20分前から最前列近くに陣取るが、武部、後藤田、山本拓、村上誠一郎ら反麻生派は再後部近くに陣取る。

 ※ 閣僚は中央付近やや後方に集中。確認できたのは与謝野、舛添、浜田、野田、佐藤勉。山口俊一も佐藤、浜田らと談笑。松本純も中央付近やや後方。鳩山も中央付近やや後方の左端に座る。野田は閣僚の固まっているところに足を向けようとしたが、鳩山の姿を見つけるや近寄り、後ろに着席。やや遅れて姿を現した与謝野は松本純と少し話すが長く続かず、なぜか土井真樹と渡嘉敷なおみの間に座る。森英介は与党総会屋を目指し(?)、最前列近くに陣取る。

 ※ 総理が会場に姿を現すと一斉に拍手。1人、2人と立ち上がり、最後はスタンディングオベーションで出迎える。

 ※ 細田がしゃべり始めるときに「しっかりやれ!」のヤジ。細田が自民党の実績を強調している間は野次なし。最後に「麻生総理のもとで団結して」云々と発言したときは「そうだ-」「よし」などの歓声と掛声。

 ※ 総理がしゃべりだすと、新藤義孝や鈴木淳司らがデジカメで撮影。

 ※ 総理が自身の反省点について言及するときは、シーンと静かに。マスコミのシャッター音が響く。総理が「よくない影響を与えた」と発言したところで「そうだ、そうだ」の野次が飛ぶ者の追随者はなし。
(中略)

※ 最後、仲晃が懇談会を閉じようとすると、「ガンバロー三唱やろうよ!」「ここでやれよ-」のヤジ多数。これを引き取り、細田が一世一代の大絶唱。○○爆笑するも、議員は真剣な表情で「ガンバロー」絶唱。

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このような雑感メモは、記者が特定の政治家と喧嘩している時などに比較的書かれやすい。活用の場はいわゆる「連載もの」などに多いが、その一部が雑誌メディアに流れたりする。週刊誌が掲載する政治ネタの情報源は、じつのところ、こうしたメモであることが多い。
それこそ、各社の編集委員クラスが匿名で、部下が集めてきたメモを平気で他社に売り、お小遣い稼ぎをしているのだ。他の業界であれば、まぎれもなく背任行為でコンプライアンス違反の対象だろう。
しかしマスメディア各紙、各局はすべからく、このような行為を繰り返してきた。雑誌メディアにおいてすら、この国では、記者クラブシステムの補完作用に成り下がっているのだ。ある意味の「情報統制」が日本では行われている。


不健全きわまりない「官報複合体」

ところで、このような一連のメモを、なぜいま、私は公開しようと思い立ったのか。もちろん、特定の記者や政治家を個人攻撃するのが目的ではない。あくまでも、日本のメディアシステムの不健全さを象徴する存在として、日本国民にその是非を問うためだ。
アメリカ外交当局の公電を暴露したウィキリークスに対して、私のそれは「官報複合体」の恥部をさらすものとして語り継がれることになるだろう。

 当然のことながら、これは国家の中枢を揺るがす問題であるだけに、自分の身になんらかのことが起きた場合、仮に事件・事故に巻き込まれるようなことがあったときには、その死因・逮捕要件にかかわらず、四〇万枚のメモを世の中に出してほしい旨、すでに手はずは整えてある。信頼している複数のメディア、記者たちに、分散して保管してもらうようにお願いしてあるのだ。

 ところで、このようなメモが今後も定期的に送られつづけるのだとしたら、おそらく一生食いはぐれることはないだろう。しかし私自身は、メモの中身を商売のネタにしよう、などとは微塵も考えない。みずからが活用していないからこそ、こうして堂々と表沙汰にできるのだ。

 記者クラブ問題でもっとも敵視している人問のもとに、じつは、みんなでがんばって情報を集めていたというのは皮肉きわまりないが、その点でいえば、インターネット全盛の時代になったからこそ、資料が即日で手に入るようになったといえる。

 くりかえすが、「ウソ」で塗り固められた記者クラブの限界が露呈したのが、福島第二原発事故をめぐる偽装報道の数々だった。
政府や東電の会見の場で、事故に関して何も追及できない記者クラブの無能ぶりがインターネット動画を通じてリアルに流され、同時に、記者会見の様子と、その後に伝わってくる記事のあまりの落差が、国民の目に明らかになったのだ。

 原発・震災報道において、記者クラブメディアはいったい何をしたのか。次章でくわしくふりかえってみたいと思う。


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忘れてはいけない震災報道「9のウソ」
 
【メルトダウンはしていません】

二〇一一年三月十二日の原子力安全・保安院の記者会見。時の中村幸一郎審議官は福島第一原発一号機について、「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と述べた。それに対して、私はツイッターで、「炉心溶融(メルトダウン)が始まった模様」と流した。

 これが「上杉隆=デマ野郎」との汚名を着せられることになった契機である。私が発信する情報に対し、既存メディア(おもに新聞・テレビ)をはじめ多くの方(たいていは匿名)から「ウソを言うな」「危険を煽るな」と非難されつづけてきた。だが、その後、明らかになったのは、既存メディアのほうこそが事実とは異なる報道を行っていたこと、さらには、その誤報をいまだに訂正しようとしない、ということである。

 ふだんからインターネットメディア(ツイッター、ブログ、ネット配信動画など)に接している人にとって、これはもはや当然の事実かもしれない。しかし、多くの日本人が、既存メディアの情報を信じきって生活していた。いや、いまなおそうだろう。政府と既存メディアが垂れ流す「安全です」「ただちに危険はありません」との欺瞞を鵜呑みにしているのだ。


【放射性物質は拡散していません】


原発事故発生直後から、フリーランス記者や海外メディアは、放射性物質がかなり広域にまで拡散している危険性を訴えつづけてきた。

たとえば、三月十ニ日にはすでに、原発から半径3.4キロメートル地点に入っていた広河隆一氏(フォトジャーナリスト)によれば、毎時1000マイクロシーベルトを上限に設定していたガイガーカウンターの針が振り切れたという。また、事故現場から北西約四〇キロメートルにある飯舘村についても、放射線数値の高さを多くのジャーナリストが指摘していた。

 だからこそ、われわれは政府に、「SPEEDI」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の結果を早く公表せよと訴えつづけたのだ。

 さらに、三月十四目に三号炉が爆発した際のプルトニウム飛散は、深刻なように思われた。だが、三月二十七日の東電の記者会見で配られた資料には、プルトニウムについての記述がなかった。
そのため私は、「プルトニウムが検出されていないのはほんとうか。どれくらいの期間、検出されていないのか」と質問した。

 すると、なんとプルトニウムは計測していないことが判明したのである。

 政府がSPEEDIの結果を公開したのは、事故から約ニカ月後。結果は、三月十四日の三号炉の爆発で、環境基準の1〇〇万倍ものセシウムが放出、また同時に、大量のプルトニウムが放出され、風向きの関係から安全だと思われていた現場の北西方向にも放射性物質が飛散している、というものだった。

 じつは気象庁(学会)は、事故発生直後から、IAEA(国際原子力機関)に対して放射性物質飛散の予測情報を報告していた。なのになぜ、日本国内に向けては公表しなかったのか。

 こういった内容が、どれだけ新聞やテレビで報じられただろうか。いやむしろ、「ただちに危険があるものではない」との政府発表を垂れ流していただけにすぎなかった。

 福島県浪江町にあるエム牧場の古村長某氏は、三月十七日に起きた福島第一原発の水素爆発を、まさに眼前で目撃した。
マスメディアでは「放射性物質は拡散していない」と報じられたが、吉村氏がみずからの体内の放射線量を測定したところ、なんと三五〇〇ミリシーベルトものセシウムが検出され、被曝していることが判明した。

 ところが、マスメディアに登場する専門家と称する人間は、原子炉は安定しているから放射性物質がこれ以上漏れることはない、と解説するばかりだったのである。


【半径20km圏外の地域は安全です】


日本政府は福島原発から半径3km、10km、20kmと徐々に避難区域を拡大した。実は既存メディアには、放射能事故が起きたときに「この圏内に入ってはいけない」という内規がある。時事通信社は60km、民放各局50km、NHK40kmである。
つまり、政府発表の20km圏内以外の地域は安全だと報じておきながら 既存メディアの記者たち自身は、実際にはその地域に入っていなかったのだ。
たとえば、半径20~40km圏内に住む被災者は、NHKの記者に「周辺の様子をビデオに撮ってくれ~」と頼まれた。撮影したのちに連絡したところ、取りにくるのかと思いきや「もってきてください。僕たちはそこに入れないんです。」と言われたという。彼らが激怒したことは、言うまでもない。
また、20~30km圏にある南相馬市からは、事故後、既存メディアの記者たちは一斉に引き上げた。市長はそれを批判。ユーチューブで救援を訴えざるをえなかった。しかし大手メディアは、社の内規を盾に、原発から半径50km圏内には立ち入らないまま避難地域以外は大丈夫と無責任に報じつづけたのである。
記者にも逃げる権利はある。だがその場合は「我々は内規があって圏内に入れません。50km圏外から報じています」と明示すべきではないのか。
中には「安全です」と応じておいて、自ら50km圏内に入らないばかりか
家族を西日本へ避難させた者もいた。
これを卑怯と言わずして何というのだろう。 すると彼らは、「いや、自分たちは入っている」と反論するにちがいない。だがそれは、 制作会社やアルバイトなど、正社員ではない「下請け」の人間ばかりである。
ある民放は「
ウチの局が一番避難地域に入りました」と報じていたが、フリーランスの記者や海外メディアは、とうの昔から、その地域で取材を続けていたのだ。自らジャーナリストを名乗るなら、内規など関係ないだろう。 無意味な内規を破るような人間がいないこと自体が、既存メディアの体たらくを示している。


【年間二〇ミリシーベルトまで大丈夫です】


枝野幸男官房長官は17日午後の記者会見で、東京電力福島第1原発事故に関する国際原子力機関(IAEA)調査団を24日から6月2日までの間、受け入れると発表した。調査団はIAEAの専門家ら約20人で構成される。

 (『産経新聞』二〇一一年五月十七日付WEB版)


これを読んだ人は、五月下旬になってIAEAが原発事故後はじめて日本に来た、との印象を受けただろう。

 だがじつは、三月十八日にはすでに、IAEA調査団は来日して二次情報を収集し、同月三十日には、高濃度の放射性物質が検出されたとして、飯舘村に避難勧告を出すよう日本政府に促している。
WHO(世界保健機関)も、女性と子どもだけでも避難させてはどうかと政府に打診していた。

 ところが政府は、これらの打診を無視しつづけた。

 結局、四月二十二日になってようやく、飯舘村などを五月末までの計画的避難区域に指定する。
これまでIAEAの勧告を受け入れなかったのは、北朝鮮やイランなど、ひと握りの独裁国家だけ。先進国であるはずの日本は、その列に並ぶ不名誉を進んで得ることになってしまったわけだ。

 また政府は、一般公衆の年間被曝限度は、1ミリシーベルトと定められていたものを、いつの間にか二〇ミリシーベルトまで引き上げ、これを計画的避難区域の基準としていた。ちなみに、チェルノブイリ事故の際の避難基準は五ミリシーベルトである。さらに後述のとおり、四月に、政府は国際環境NGO団体グリーンピースによる海洋調査も拒否している。

 IAEA、WHO、グリーンピース。三つの国際機関からの要請を拒否したことで、日本は世界から不信の目で見られている。
しかし、既存メディアはこれらの事実をまったくと言っていいほど報じないため、多くの日本人は、自分たちが海外からどのような目で見られているか、いまだ知る由もない。


【低濃度の汚染水を海洋放出しました】


この問題については、原発事故直後からあり、フリージャーナリストの日隅氏と木野氏が 再三にわたって東電を追及してきました。
3月14日には、記者会見で日隅氏がその危険性を指摘、同日、木野氏も格納容器内に 溜まっている汚染水が外に漏れ出す危険性があるのでは、と東電の副社長に質問している。だが、東電側は、一貫して回答を避け続けていた。
この間、既存メディアがこの件について東電を追求したことはない。
大スポンサーである東電の機嫌を損ねないような質問に終始するどころか妨害とも取れる言動を行った。日隅氏、木野氏による東電への追及に対して大手新聞社の記者の中には「おまえたちの会見じゃないんだぞ~」「もういいよ、その質問は」・・と野次を飛ばす者さえいたのである。結局、汚染水は漏れていた。この事実を東電が認めたのは、ようやく4月2日になってからだ。
事態はこれにとどまらない。 4月4日には・・
第一原発敷地内の低濃度の放射線汚染水11500トンを海に放出する突如、 発表したのである。
この行動の根拠は「原子炉等規制法64条1項」で、これ以上災害を広げないための 緊急措置という説明だったが、緊急性の理由を追及したが、東電は明確に説明できなかった。

東電が低濃度として海に放出したのは、実は通常の環境基準の100倍以上の値だった。 私は「低濃度という基準は何ですか?」と質問したが、「東京電力の基準です」というもの。
我々がこの問題を重視したのは、この行為が世界のなかの日本の立場を悪化させるもの だからである。放射線汚染水の放出は、海洋環境の保護、保全を定める国際海洋法条約」「海洋汚染防止条約に違反する可能性がある。
しかも政府は、海洋への汚染水放出は事前に海外へ通告したと述べているが実際に通告を行ったのはアメリカだけだった。ロシアに至っては、通告があったのは6日だったと不快感を示した。
3月11日以降、被害者だった日本が、この日を境に加害者になってしまったのである。
にもかかわらず、既存メディアは、東電の発表そのままに低濃度汚染水を放出 としか書いていない。何より、事の重大さを国民に知らせなかったのだ。ちなみに、海外では「低濃度」などとは報じていない。
6月に入り、日本の新聞では「IAEA理事会でアジア・オセアニア20カ国による太平洋の 放射性物質を調査する4年ががりのプロジェクトが発足した」と報じられた。 これは、周辺各国が日本に協力する、といった呑気なものではない。 将来、日本に賠償請求をするための準備会に変身することがあることを
我々は覚悟しておくべきだろう。


【海産物は食べても安全です】


汚染水の海洋放出を受け、四月二十日、先に述べたように国際環境NGOグリーンピースは、海洋生物のサンプリング調査の申請を日本政府に行った。グリーンピースは国連の総合協議資格を与えられており、過去数十年にわたって世界の海の調査を行ってきた実績をもち、国際的な信頼が厚い団体だ。だが、これを日本政府は拒否した。

 代わりに政府は突如、四月二十五日に海洋調査を行うことを決定する。しかしそれは、の頭と内臓を除去してサンプリング調査を行うという、世界に類を見ない調査方法だった。さらに、海洋汚染の影響を受けやすく、日本人がよく食べる海藻類や貝類の調査は行わなかったのだ。

 そして調査の結果、問題はないとの数値を発表し、安全だと言いつづけている。
私は当時、日本の海産物を憂う漁師の方々の協力のもと、グリーンピースと一部連携して独白の調査を行った。グリーンピースは漁師たちから提供された海産物の検体を、フランスの放射能測定機関であるNPO「ACRO」や、ベルギーの原子力研究センター(SCK・CEN)をはじめとする複数の第三者機関に送り、放射線量の計測を依頼した。その結果が驚くべき数値だったことは、『週刊文春』二〇一一年六月二日号でいち早く公表した。

 あらためて数値を見ればわかるとおり、たとえば、福島県四倉港で五月上旬に採取されたコンブからは、国が定める暫定基準値(セシウム134と137を足して五〇〇ベクレル/キログラム)の四倍近い値が計測されていた。そのほか、シラス、カキ、マナマコなども基準値を超えた。


【農産物は食べても安全です】


 農産物に関しても海産物と同じである。いまや農産物のみならず、放射性物質を含んだ牧草を食べたり、汚染水を飲んだ畜産物にも注意すべき事態になっている。

 農産物や畜産物に対しても、政府は一貫して「大丈夫だ」と言いつづけ、既存メディアもそこに登場してくる専門家も、「風評被害を起こさないように」「被災地のものでも安全で」と言いつづけてきた。だが実際には、早い段階で、静岡県の茶葉から放射性セシウムが検出されており、福島県産牛肉稲藁などからも放射性物質が相次いで見つかったことは記憶に新しい。

 放射能の完全な除染には、かなりの時間がかかるだろう。
原発事故の収束は、スリーマイル島事故が七日、チェルノブイリ事故は十日だったが、日本は事故発生から一年が経過しようとしているいまなお、放射性物質を完全に閉じ込めることができないでいる。
日本人は今後、長期にわたって放射能とつきあっていかざるをえない。

 放射性物質の半減期は、セシウム137は三十年、ストロンチウム90は二十九年、プルトニウムにいたっては二万四千年である。それが現実だと頭を切り替え、放射能があることを前提に物事を考えていかなければならない。

 では、どうしたらいいか。私は白身のメールマガジンや『voice』二〇一一年八月号に、三つの提言を書いた。

 ①食品値札に放射線量を明記する。

 ②高齢者と子どもへの摂取制限を導入する。

 ③天気予報で放射性物質飛散予報をする。

 これらは私が思いついたものではなく、かつてチェルノブイリ事故を受けて、ヨーロッパ諸国がとった措置である。

 遅きに失した感は否めないが、海産物、農産物、畜産物など、早急に万全な検査体制を整え、あらゆる食品をチェックすべきであることは、いまさら言うまでもない。政府がこれまでそれを曖昧にしか行ってこなかったことが、住民の不安を呼んでいる。すべての数値を公表してこそ、安心を取り戻せるのだ。


【工程表のとおりに収束します】


東電は、既存メディアの大手スポンサーである。
ほぼ全てのマスコミが東電から莫大な広告費をもらい、密かに手厚い接待を受けている。そのようなスポンサーがいること自体は構わないが、問題は、今回のような事故が起こったときのマスメディアの対応である。
3~4月まで、既存メディアは東電会見でほとんど批判的な質問をせず、当然批判的な報道も行わなかった。
それどころか東電を批判する人間を次から次と排除したのだ。
私はラジオで東電批判したとたんに降板となり、TVで東電批判したフリージャーナリストも次々と番組降板を余儀なくされた。
スポンサーのいないHNKでさえ、ある解説委員が東電批判を行ったところ、その後、彼をTVで見ることはなくなった。
念のためにに言っておくが、東電が「批判するな」と圧力をかけたのではない。全てはマスコミ側の自重」「自主規制によるものである。
東電自体は企業なのだから、自己防衛を企てるのは、ある意味当たり前である。だが、仮にもジャーナリストを標榜するならば、それを見抜き、報じるべきときは報じなければならない。
例えば東電は、事故後1カ月にして、ようやく事故収束に向けた工程表を出した。これは、フリーランス記者がさんざん要求した結果出たものだった。
しかも当初は「6~9カ月で収束する」との内容を見た時、みな無理だと思った。すると東電は、5/17、6/17と立て続けに工程表の改訂版を発表した。
なぜなら、メルトダウン、メルトスルーを彼らが認めたのは5月、6月。
その結果、最初の工程表に矛盾が生じたからである。
ところが、工程表の内容、改訂版に疑問を投げかけるような質問は、既存メディアからは一切出なかったのである。
今の状況は、除染作業は進まず、放射能は今だに出し続けている。
政府は国民を安心させるためか、実現可能性の疑わしい工程表を追認しこれをマスメディアは批判することなく掲載する。

何かが起これば工程表に影響が出る可能性があると報じるだけ。しまいには、「冷却安定」を「冷温停止」、さらに「冷温停止状態」と巧妙に文言を変えて、事実関係をうやむやにし、国民の目をごまかそうとする。
メディアの本当のスポンサーは読者であり、視聴者であるはずだ。だが、現在のマスメディアは本当のスポンサーの方を見ていない。
たとえ企業から広告を降ろされようが、国民に真実を伝えるのがジャーナリズムの責務なのではないのか。
事故以降、「お詫びCM」「お詫び広告」を目にした方が大勢いただろう。
当然これにも東電からマスメディア側にお金が流れている。
この状態で、厳しい追及が出来るはずがない。

最大の被害地域である福島県では、「お詫びCM」は流れなかった。
TV局とラジオ局が拒否したからである。「
そんなことにお金を使うくらいなら、被災地と被災者に配れ」これこそ、メディアのあるべき姿だが、福島のメディアが例外になってしまうことに既存メディアの病理が潜んでいる。


【事故原因を徹底的に検証します】


二〇一一年十二月二十六日、福島第一原発に聞する政府の事故調査・検証委員会の中間報告書が公表された。あくまでも任意とはいえ、四五〇人以上に及ぶ聞き取り調査を盛り込んだ同報告書は、五〇〇ページを超える膨大な資料で、政府や東電の津波対策の甘さや事故対応のずさんさを指摘するものだった。

 その内容の是非については、ここでは問わない。私が問題視するのは、この報告書が公表されるまでの一連の流れである。

 じつは私は、五日前の二十一目に、「七〇〇ページの中間報告書」が当該の日に公表されるとの情報をつかんだ。同時に、記者クラブだけを集めた事前のレクチャーが二十三日に聞かれるとの裏情報も耳にした。
発表する側の政府と、報道し論じる側のマスメディアが、記者会見を控えて、こっそりと打ち合わせをしようとしていたのである。
私はすぐに、その事前レクの意図を理解した。
仮に記者会見当日になって、いきなり膨大な資料を渡されたところで、フリーランスや海外メディアの記者たちは、内容を読み込めるわけがない。
当然、核心を突いた質問など不可能だ。
一方で記者クラブだけは洗脳しておいて、当たり障りのない質問を用意させておく。政府としては、これでいちおうの体裁は保てることになる。

 これをまさに「談合」と呼ぶのである。

 そこで私は、すぐさま内閣府に一本の電話をかけた。


二十三日の事前レクに参加したいんですけど

 「いや、そんなものはありません

 「あ、大丈夫ですね、ないって言いましたね。じゃあ、もしあった場合はどうなるか、わかっていますよね?

 「いや、そんなことはあるかないかも言えません


 こんなやりとりがあったうえで、文化放送のラジオ番組やツイッターなどで、政府と既存メディアのインチキな構図をあえて公表した。
おそらく彼らは、ページ数を変えたり、場合によっては会見日を変更したりするなどして、私の暴露内容と若干でも異なるようにあわてて細工を施すたろう、との予測もつけくわえた。

 その後の経過は案の定。報告書はたいした話題に上がることもなく、下手をすれば、その存在を知らない国民も少なくないのではないか。
穿った見方をすれば、政府としては、東電も含めて、自分たちへの怒りや疑念に対するガス抜き程度に考えているのかもしれない。

  ヨーロッパでは最大発行部数を誇るドイツの雑誌『シュピーゲル』は、二〇一一年五月二十三日号ですでに、「原子力国家」と題したコルドゥラ・マイヤー記者の鋭い観察を掲載している。
私自身も彼には取材を受けており、許可を得て、その内容は全文ウェブ上で紹介させていただいた。ここであらためて、象徴的な部分を引用したい(翻訳・梶川ゆう氏)。


 原発の大事故が起きてからもなお、東電はジャーナリストを煙に巻こうとしている。東電本社の一階には10週間前からテレビ放送局や大新聞社の報道聞係者たちが詰めている。
記者会見で彼らに与えられるのは、いかにも精確そうな生のデータの山だ。しかし、これらのレポーターたちに、何百という脈略のない測定値からなにをみつけろと言うのだろう。しかも、これらのデータは、後になって間違っていたことがよく判明するのである。


「そして誰も責任を取らない」


震災発生の3月11日以来、政府は記者会見の場から既存メディア以外を締め出した。そのためフリージャーナリストやネットメディアは、主に東電会見に集まることとなった。
既存メディアは政府発表をそのまま垂れ流すだけだった。
だが、フリージャーナリストたちは、自身のブログやツイッターで、事実も疑惑も包み隠さず知り得る情報を国民に提供した。
さらにインターネットでは、東電をはじめとした会見の動画がリアルタイムで編集されずに流された。その結果、多くの人が情報ツールをネットメディアへと移行させた。なかでも子供をもつ母親たちは顕著だった。
我が子を守りたい一心から、あらゆる手段で情報を探った結果、ネットメディアが最も早く正確な情報を流していると気がついたのだ。
逆に疎いのが父親である。サラリーマンが多いため、普段は新聞を読んでいる人が多くその情報を信じ切っている人が少なくない。
そういう人に限って「ネットの世界はウソの情報が氾濫している」と思い込んでいる。
だが、日に日に政府の発表が修正を重ね、ネットメディアの言い分に近付いていく状態を目の当たりにして、考えを改める人が続出している。
原発事故で恐ろしいのは、その被害が年月が経つにつれ大きくなり、表面化していくことだ。仮に4、5年後、自分の子供の尿からセシウムが検出されたら親は「マスメディアに騙された」との思いを抱くだろう。
騙されたと思うだけならまだいい。チェルノブイリ事故、あるいは日本でも森永ヒ素ミルク中毒事件が起きたのち母親の自殺が増えた。自らを責めるのが母親というものだ。たとえ要因が別であっても、因果関係がわからないので、それを自らの責任に帰してしまうかもしれない。
数十年経てば、マスメディア、政府、東電を責めたくても、当事者はもういない。いや、5年後であっても「因果関係がつかめません」と言い募って、政府も東電もそしてメディアも責任を逃れるだろう。
くりかえそう。新聞やテレビなどの既存メディアの情報は、2011.3月~4月の2カ月間ほとんど役に立たなかった。いや、今でもそれは変わらない。
あえて「役立たず」と述べたが「本当はわかっていながら、真実を報じなかった」と言った方が正しい。これは消費者にしてみれば、欠陥商品を売りつけられたも同然であり、なかば詐欺ではないかと思うのである。
今の日本の既存メディアにもっとも当てはまる肩書きは「政府広報」だろう。そのような彼らでも、自称「ジャーナリスト」なのである。


もくじへ
新聞・テレビはなぜ「ウソ」をつくのか
 

【でつちあげられた鉢呂経産大臣の「放射能」発言】


 前章では、東日本大震災と、それにともなう福島第一原発事故を例に、既存のマスメディアが報じつづけた「ウソ」を、いま一度、白日の下にさらそうと試みた。

 当然のことながら、既存メディアの体質は、ここにいたっても変わるところがない。いや、反省されるどころか、かつてないほど悪質な「虚報」が、ふたたび既存メディアによって行われたのである。

 すでにインターネット上では明らかになっているところもあるが、新聞やテレビはこの件について、相も変わらずいっさい目をつぐんでいる。その偽らざる真実をここに記しておきたいと思う。

 二〇一一年九月十一日、当時の鉢呂吉雄経済産業大臣が、福島第一原発事故をめぐる不適切な発言の責任を取って辞任した。
その発言とはご存じのとおり、福島県の被災地を「の町」と表現したこと、さらに、記者団に対して「放射能をつけちゃうぞ」(以下、「放射能」発言)とふざけ半分に目にしたとされるものである。

 しかし、じつは、これらの「失言」こそ、記者クラブメディアがでっちあげた「虚言」だったのだ。


あらためて、一連の経緯をふりかえってみよう


 九月九日午前、鉢呂氏は閣議後の記者会見で、野田佳彦首相、細野豪志原発担当相とともに福島第一原発を視察したことを説明し、「残念ながら、周辺の町村の市街地は、人っ子一人いない、まさに死の町というかたちでした」と述べた。この「死の町」発言に対し、新聞・テレビがいっせいに「配慮を欠き、福島県民が怒っている」と報じ、昼過ぎには野田首相も「不穏当な発言だ」と同調した。

 同日午後六時五十分過ぎ、フジテレビが、失言関連のニュースを報じた最後に、鉢呂氏が記者団との懇談の場で、「防災服の袖を取材記者の服になすりつけて、『放射能をわけてやるよ』などと話している姿が目撃されている」と報じた。

 このあと共同通信が午後九時過ぎに「放射能」発言を加盟各社向けに配信。TBSは午後十一時半からのニュースで、NHKは午後十一時五十九分にネット配信し、翌日、朝刊には各紙がいっせいに「死の町」発言と「放射能」発言を大々的に抹り上げる。とくに「放射能」発言の反響は大きく、結果として鉢呂氏は、辞任というかたちで責任を取った。
だが私は、当初から、この「放射能」発言に違和感を拭うことができなかった。なぜなら、各紙によって発言の内容が異なっていたからである。
全国紙を見るだけでも、

■「放射能をつけちゃうぞ」『朝日新聞』
■「ほら、放射能」『読売新聞』
■「放射能をうつしてやる」『産経新聞』
■「放射能をつけたぞ」『毎日新聞』

といった具合である。
辞任を引き起こすほどの発言にこれはどの違いがあるのは、どう考えても不自然だ。さらに、「放射能」発言があったとされた懇談が行われたのは、九月八日だった。ところが、それがはじめて報じられたのは、丸一日以上たった九日、しかも「死の町」発言が報じられたあとだった。なぜ、発言当日の八日にはいっさい報じられず、あとづけで問題視されたのだろうか。

「放射能、ついていませんか」 「うつさないでくださいよ」とふったのは記者
 じつは私は、ある筋から、当日、懇談の場で隠し録りされたICレコーダーの「音源」を確認した。懇談に参加した記者のなかに、ひそかにICレコーダーを使って録音していた記者がいたのだ。
 その録音内容を聞くかぎり、福島第一原発を視察した鉢呂氏に対し、「放射能、ついていませんか」「うつさないでくださいよ」と記者側から話がふられている。
これに対して、鉢呂氏は「ほら」とジョークで応じただけで、具体的な言葉は何も発していないのだ。

 私は司会を務める番組『ニュースの真相』(朝日ニュースター)に鉢呂氏を招き、当時の検証を行った。
彼は、「言った記憶はない。そもそも放射能という言葉自体、使ったことがない。もし言うなら、放射性物質と言うだろう。しかしプロの記者さんたちが、みんなそう報じるので……」と語った。
メディアに抗議しなかったのか、と尋ねたところ、「ずっと否定していたのだが、メディアが採り上げてくれなかった」と言う。
 九月十目夜、鉢呂氏は辞任を決意し、記者会見を行った。
ここに、記者が作成したメモがある。記者たちの執拗な質問に対して、たしかに彼は、再三にわたって、報道されている自身の発言内容に困惑し、その真偽を自問自答している様子がうかがえる。
 公の会見なのだから、当然、映像も残っており、質疑応答を正確に文字起こしすることは可能であるが、あえて記者たちのあいだで取り交わされていたメモを抜粋して、会見をふりかえりたい。半信半疑の鉢呂氏を攻撃しつづける彼らの神経を疑う。
 くりかえすが、これは記者たち白身のメモである。彼らは鉢呂氏の当惑を知りながら、その一方の可能性を否定し、自分たちの結論に導こうと躍起になっていたのだ。

「懇談ではなく、取材現場にいた」との稚拙な言い分
ではいったい、どこからこのような「放射能」発言が出てきたのか。
 第一報を流したフジテレビについて、鉢呂氏は「その場にフジの記者はいなかった」と述べている。
 東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏も、この件に関して疑問をもった一人であり、鉢呂氏の辞任後、いち早く単独インタビューを行っている(『現代ビジネス』、長谷川幸洋「ニュースの深層」二〇一一年九月十四日配信)。
そこで、「フジの記者はいなかった」との鉢呂氏の発言を受けて、長谷川氏は「なぜフジは自分が直接取材していないのに伝聞情報として報じたのか」と疑問を呈している。
 しかし、この記事に対し、フジテレビ側から「現場にいた」との抗議が入った。そこで長谷川氏は、「フジの記者は懇談の場にいた」という訂正記事を発した。すると、またフジテレビ側から抗議が入る。「記者は懇談ではなく、取材現場にいたのだ」というのである。
 これには少々説明を要するだろう。
 東京・赤坂にある議員宿舎の玄関前には通常、記者団が待ち構えており、担当の政治家がやってくると、そのまわりを番記者たちが取り囲む。その囲みのなかで話されたものが「懇談」である。
そして重要なポイントは、囲み取材は基本的に、担当する政治家の番記者とのあいだだけで発生するものだということだ。

 つまり、「懇談ではなく、取材現場にいたとのフジテレビの言い分は、担当番記者はその夜、鉢呂氏の囲みにはおらず、そのため別の記者が、別の場所からそれを見ていた、と言っているにすぎないのだ。
 いずれにしても、実際には鉢呂氏の発言はなかったのだから、完全なウソに違いはない。長谷川氏はフジテレビ側に、その記者への取材を申し込んだが、断られたそうだ。ちなみに、長谷川氏とフジテレビ側のやりとりは一部始終、『現代ビジネス』の当該連載記事(九月十六日配信)に掲載されているので、詳細はそちらをご覧いただきたい。

【「死の町」発言はむしろ被災地側からの切実な要望だった】
鉢呂氏の「死の町」発言についても、前後の文脈をきちんと踏まえれば、なんら問題のないものであることがわかる。
先に引用した辞任記者会見の発言からも、彼の心情は十分に汲み取れるはずだ。
 しかも、そもそもこの発言自体、被災者や福島の市町村の首長から陳情を受けて生まれたものなのだ。
中央の政治家には、われわれの町がゴーストタウンになってしまっているという認識が足りない。現実を直視して対応してほしい
このように公に発言してほしいと要望されていたのである。
 マスメディア報道では、鉢呂氏の「死の町」発言に対し、まるで福島県民全体から苦情が殺到しているかのように報じられたが、実際、鉢呂事務所には「がんばれ」「よく言ってくれた」といった激励の声こそ多数寄せられていたものの、批判はきていなかったという。
 それもそのはず、鉢呂氏は大臣就任前から福島県に通い、放射線量の測定や、除染の徹底などを訴えていた数少ない政治家の一人だった。
発足したての野田政権の閣僚では、ただ一人、福島第一原発の敷地内へ入ってもいた。子どもの生活圏においては、年間被曝量の上限を「二〇ミリシーベルトから1ミリシーベルトに引き下げるべき」と、菅首相(当時)や細野原発担当大臣に進言してきたのも彼である。
 さらに、原発一四基以上の新増設を掲げたエネルギー基本計画の見なおしを議論するため、経済産業省が総合資源エネルギー調査会に設けた基本問題委員会について、原発推進派に偏っていたメンバー構成を改めよう、と進言したのも鉢呂氏だ。彼が大臣に就任する前の六月段階で、委員の顔ぶれはすでに内定しており、賛成派が十二人、反対派が三人だったところを、両者が十二人ずつになるようにと提案したのである。
 このような人物であるから、大臣辞任直前には、福島県内で「彼を辞めさせるな」との署名運動が始まっていた。残念ながら被災住民の署名は届かずじまいだったが、鉢呂氏の辞任は福島県民にとって、じつに悔やまれる出来事であったにちがいない。
私はこれまで、既存メディアをアンフェアであると指摘しつづけてきたが、この一件はアンフェアどころか、犯罪行為ですらあると言っても差し支えないと思う。完全なデマを流し、選挙で選ばれた政治家の地位と社会的身分を剥奪したのだから。

 鉢呂氏は先述した私の番組で「もう終わったことだ」と語ったが、もし鉢呂氏がマスメディアを相手に裁判に訴えれば、はたしてどうなることか。
 次章で記者クラブの「同調性」を指摘するが、その象徴的な出来事が、この騒動で表出したといえる。鉢呂氏に直接質す裏取りも行わず、他社が報じているという理由だけで、「乗り遅れるな」とばかりに報道合戦を行ったのだ。
 おそらく、この鉢呂氏の一連の騒動の真相が今後、新聞やテレビで明らかにされることはないだろう。だから、せめてインターネット上やこうした書籍を通してだけでも、真相がより多くの方に知られることを祈るばかりである。

なぜ小沢一郎には「悪」のイメージがつきまとうのか
 こうした既存メディアの報道被害を直接受けた人間は、やっとその「ウソ」や「欺瞞」に気がついた。鉢呂氏も、その一人だった。鈴木宗男氏、石川知裕氏など、そうした政治家は枚挙に遑がない。そしてその象徴たる人物が、既存メディアの被害に長年あいつづけている小沢一郎氏である。
 彼には「悪の権化、金の亡者」というイメージがつねにつきまとっているが、これこそ既存メディアがつくりあげた虚像にほかならない。
 そう言うと、すぐに「上杉は小沢のポチだ」という批判が飛んでくるが、そもそも、ある人物に対する評価は是々非々であり、多様であって当然だ。
メディアの報じ方が偏りすぎているので、実像をきちんととらえましょう」と私は言っているにすぎないが、情報が統制された記者クラブでは、鉢呂氏のケースのように同調性が働き、結果として表に出るものは、実際の姿とはかけ離れてしまう。
 じつは、この記者クラブの弊害をいち早く問題視した政治家こそ、だれあろう小沢一郎氏だった。自民党幹事長だった一九九一年、小沢氏は記者クラブメディア以外の雑誌記者も会見に参加できるという、記者会見のオープン化をはじめて行ったのだ。
 公の政府に対し、どのメディアであっても関係なく質問することができ、反論もきちんと行える。会見を記者クラブだけに限定し、情報を独占することは、民主主義の公平性のルールから完全に逸脱している--
これが小沢氏の主張であり、自民党、新生党、新進党、自由党、そして民主党と続いた約二十年間、その方針を彼は貫いている。
 のちの章で詳述するように、小沢氏に続いて岡田克也氏や原口一博氏なども、記者会見のオープン化を断行したが、既存メディアは小沢氏同様、みずからの既得権益を守れなくなることに対する恐怖心から、彼らに対して批判的だ。とくに、原口氏に対する「ウソ」の連続は常軌を逸している
 だが、策を弄するほどに、政治家たちはアンフェアな既存メディアから離れていく。こうした自業自得が引き起こした流れは、おそらく止められないだろう。


「世の中を動かす正義のプレイヤー」だという思い込み

多くの「ウソ」を重ねても、それが表沙汰になることがなかったのは、言うまでもなく記者クラブが情報を統制し、加えて記事が匿名で書かれていたことに大きな理由がある。
日本と海外を比較してみると、大きな違いが見て取れる。
日本のマスメディアはウソ」に対しては寛容だが、「間違い」は絶対に認めない
一方、海外メディアは間違い」に対しては寛容だが、「ウソ」は絶対に認めないのである
 かつてアメリカのクリントン元大統領が、ホワイトハウス実習生のモニカ・ルインスキー氏との不倫疑惑でメディアから大きな批判を浴びた。ウソ」をついて事実を否定していたからである。しかしその後、「不適切な関係があった」とみずからの「間違い」を認めたため、彼は大統領職にとどまることが可能になった。 
一方、ウォーターゲート事件に関して「ウソの上塗りを重ねたニクソン元大統領は、『ワシントン・ポスト』のみならず、各メディアのさらなる追及によって、史上はじめて任期中にその地位を追われる大統領となった。
人間が間違いを犯すのは仕方がない、逆にいえば、間違いを犯さない人間などいない、と「間違い」に対しては寛容な米国民の大統領像と、ニクソン氏の「ウソ」とのあいだに乖離が起こったからだろう。
ひるがえって、日本のマスメディアはどうか。みずからの「間違い」を決して認めず、事実に対して少しも謙虚なところがない。
たとえば『朝日新聞』(二〇一一年九月十三日付)は、鉢呂氏が「放射能」発言をしたとされるハ日の懇談の際、「防災服の胸ポケットにしまっていた個人用線量計をのぞき、その日に測定された数値の一つを読み上げた」と書いた。
しかし実際には、鉢呂氏は線量計を原発作業員の基地に置いてきており、明らかにその内容は間違いだったのである。
『朝日新聞』は訂正文を出したが、それは線量計をその場にはもっていませんでしたという、ごまかしに近い謝り方だった。

ジャーナリストは権力者であってはならない
 たしかに、メディアの人間が「裁く側」に回ることもある。ジャーナリストが政府の関係組織に入ることは少なくない。
 しかし海外では、ジャーナリストがそうした行政組織、あるいは司法、政治に参加する場合、いったんペンを置かなければならない。
ジャーナリストに復帰できるのは、その任を終えたあとのみである。言うなれば「リボルビングドア」で、ドアの回転を使って別の空間を行き来できるが、ドアの向こう側とこちらの別の世界を同時に体験することはできないのである。
 一例を挙げると、私の知人である『ニューヨーク・タイムズ』の記者も、ニューヨーク市警察の審議委員を務めるにあたって一年間、ジャーナリストを休職した。ニューヨーク市警察の審議委員は、犯罪資料の請求権をもっており、警察側は請求されれば提出しなければならない。仮に、その情報をもとに記事を書いた場合、それは取材ではなく情報漏洩であり、公務員として法に反する行為にあたる可能性がある。
 そうした当然のルールが、日本ではまったく守られていない。
たとえば、佐藤優氏は外務省時代の体験を書いた『自壊する帝国』(新潮社)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しているが、エッセイやメモワールならまだしも、これがジャーナリズムとして評価されるのは、おそらく日本だけの特殊な現象だろう。
 つまり、報道側の立場の人間でありながら同時に権力側について働くことが、やすやすとまかり通るのが日本社会なのだ。
 薬害エイズ事件で追及の急先鋒に立ったジャーナリストの櫻井よしこ氏も、ジャーナリストという肩書で、旧厚生省の審議会メンバーとなった。
私は以前、その櫻井氏に「(ジャーナリストと兼務したことについて)これは問題ではないか」と問うたことがある。その際、彼女は「ふりかえってみれば、アリバイに使われてしまって失敗でした」と率直に反省の弁を述べている。
 「中間報告では、認めたくない部分もありましたが、議論を前に進めなくてはいけないと思い、一部を認めたのです。その結果ほら、櫻井氏も認めたではないかとアリバイつくりに利用されてしまったのです
 当代随一のジャーナリストである彼女ですら、一度だけとはいえ、間違いを犯したのだ。ましてや、疑問なく政府の審議委員などに就任する大手メディアの幹部たちは論評に値しない。
日本では、権力側(行政)と事実を報じる側(メディア)の境界がこのように曖昧であり、結果、両者のあいだに健全な緊張関係が芽生えることを妨げている。ゆえに、ともすればメディアの人間が本来の職務を忘れ、「自分は権力を行使することができる」という勘違いが生まれるのだ。
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腐りきった「記者クラブ」の正体
 
設立時は健全な方針を掲げた集団だった

 既存メディアの報道がいかに虚偽に満ちたものだったか。この点についてこれまで多くの事例を紹介した。一連の歪んだ報道の元凶こそ、私が十数年来、問題視してきた「記者クラブ」に問題にほかならない。
 そもそも記者クラブとは何か。
 当初それは、権力に立ち向かう際に、単独ではなく各メディアがスクラムを組んで対峙しようとの意義で結成されたもので、現在は大手新聞社と大手テレビ局を中心に成り立っている。その起源は一八九〇年、新聞社による「議会出入記者団」の設立にまでさかのぼる。当時は「報道機関側が集まって公権力に情報公開を求める」という、健全な方針を掲げた集団だった。
 決定的な変化があったのは、第二次世界大戦前の一九三〇年代後半である。
軍靴の足音が近づくにつれ、政府の言論統制は厳しさを増した。
『信濃毎日新聞』の桐生悠々関東防空大演習嗤ふと題した反体制的な社説を書いて、事実上ペンを析られたように、軍国主義に対してNOを突きつける人間が、新聞社内からパージされはじめたのである。
 そうした風潮のなか、新聞みずからも「自主規制」を始める。
本来なら、戦争反対を唱える主張があっていいはずなのに、その芽を未然に摘み、反論を許さない風潮に新間みずからが寄与することになったのだ。
多様な意見を担保する役割を果たすべきメディアが、その多様性を排除してしまったのである。
 間戦後、日に日に戦況が怪しくなり、戦線が後退していたときも、日本の新聞は敗北を知りながら、それを報じなかった。代わりに、役所の発表をそのまま垂れ流すクラブが官公庁への唯一の取材拠点となり、日本軍の広報のような役割を果たしたのである。
 ミッドウェーの海戦で日本軍が敗れても、「撤退」ではなく「転進」という言葉を用い、一丸四五年六月二十三日、沖縄戦に敗れたときは、「いよいよ本土決戦、勝機はわが日本にあり」と書くなど、ひたすら大本営発表の戦争礼賛記事ばかりを配信しつづけた。
この一年の原発・震災報道にも一脈通じるものがあるだろう。
 こうした記者クラブ体制は、終戦とともにGHQ(連合国軍総司令部)に解体を迫られるが、目的を「親睦的な社交」のみにとどめる旨がGHQに受け入れられ、存続を認められることになる。
占頷下にあったときこそ、日本のメディアがもっとも自由だったというのは、なんとも皮肉な話である。

会見参加を同業者に邪魔される異常な日本
 一九五一年のサンフランシスコ講和条約で日本の主権が回復したのち、七〇年代にかけて、徐々に政権側がメディアを選択するようになる。たとえば七二年、佐藤栄作首相は自身の退任会見の際、「新聞記者の諸君は出ていってくれ」と要請した。
 さらには、政治家がメディアの一本釣りを行うようになる。記者クラブ側もソースを失いたくないため、徐々に折れたり、抜け駆けしたりする。そのような過程を経て政権側の意向に沿った報道がなされるようになっていった。
 一九八〇年代半ば、中曽根康弘政権の官房長官に後藤田正晴氏が就くと、カネと情報によって記者クラブは完全に骨抜きにされ、スピンコントロール情報を意図的にリークして世論をコントロールするに利用されるようになる。外遊の際などは官房機密費で記者たちを餌付けし、休養中の中曽根首相の動静を意図的に一部の社にのみ流すことで、記者たちを分断統治することに成功したのだ。
 その後、記者クラブは政治家や官僚とのもちつもたれつの関係で恩恵に与っていたが、自民党政権末期には逆に記者クラブも力を握り、世論調査などを駆使しながら無意識に政権をコントロールする状況になっていたのだ。
 本来ならメディアの多様性そのものが、政治介入を防ぐ盾となる。
しかし日本の場合、記者クラブ自身が新しいメディアをつねに排除し、その多様性を許さなかった点に問題があった。
 六〇年代にテレビメディアが登場したとき、新聞は当初、「あんな三流メディアを記者クラブに入れたら自分たちの品位が下がる」と非難した。
たとえば東京都庁に「有楽クラブ」という記者クラブがあったが、もともと新聞社と通信社、そしてNHKしか入れず、民放テレビスポーツ紙や産経新聞社も)は二流とされて除外されていた(「鍛冶橋クラブ」)。
 しかし九〇年代以降、メディアにおいてテレビの影響力が絶大になりはじめると、新聞との力関係も逆転し、やむをえず同等の地位に立つことを許したのである。
 一方、七四年に『文藝春秋』で発表された立花隆氏の「田中角栄研究」や、児玉隆也氏の「淋しき越出会の女王」が田中角栄首相の辞任に結びついたように、雑誌メディアの力も無視できないものがあった。ハ○年代にかけてその勢いはさらに増したが、いまだ記者クラブヘの加入は果たせないままである。
 いま新しく台頭しているメディアといえば、それは疑いなくインターネットメディアだろう。世界の趨勢を見れば、もはやネットの影響力が既存メディアを凌駕している。しかし、それらのニューメディアに対しても、日本では記者クラブが会見への参加を認めていない。
 記者会見への参加を希望するメディアに対し、それを拒否する同業者が存在するのは、世界広しといえども日本くらいだろう。海外で会見への参加を希望する記者には、同業者がまず協力してくれる。

ジャーナリストが「会社」に忠誠を誓う愚かさ
 海外メディアと比較したとき、日本メディアが異質なのは、情報を他社より一秒でも早く報じることに血道を上げる点についてもいえる。
近年の新聞協会賞を見ても、全紙にわたって報じられている話題だが、他紙より半日早かった、というケースが多い。
 国民からすれば、生命を脅かす情報でもないかぎり、ある日の朝刊か夕刊かの違いで知ったところで大きな問題を感じないだろう。これは完全に、メディアの自己満足である。そもそも、情報をすばやく伝達するのは通信社の仕事だ。
 海外と日本では、ジャーナリストの雇用体系も異なっている。
 通常、海外のジャーナリストは企業の正社員ではなく、契約である。そのため人材も流動的で、エリートはもちろん中卒の元ギャングまで、さまざまなバックボーンをもった人間が集う。そうすることで多様な取材が可能となり、多様な記事が生まれるのだ。
 ところが日本では、記者は”新卒一括採用”が基本である。しかも、この国においてマスメディアは一流企業に位置づけられ、いわゆる難関大学出身の優等生ばかりが集まってくる。そこから生まれるのが、エリート感覚に満ちた同質の記事ばかりなのは想像に難くない。
 日本のメディアが難関大学出身者ばかりを採用するのは、思考停止にほかならない。自分たちと同じ大学、同じサークルであれば、共通言語や共通認識をもっていると採用サイドは考える。逆にそうではない人間を採用し、その人物が問題を起こしでもしたら、自身の出世にかかわってしまう。いわば自分の境遇と似た人間を採用することによって、安心感を得ているのだ。
 海外のジャーナリストが忠誠を誓う対象、それは自分が取材して信じた「真実」にほかならない。ジャーナリストが行うのは「真実の追求」であり、そこに思想信条は関係しない。
だから優秀なジャーナリストは、どのような組織に所属しようが活躍できる。メディア側も真実を伝えることが目的なので、反対の思想をもつ人物が社内に存在することを喜んで許容する。


権威に弱い点では官僚と変わらない
 同質性に浸る彼らはまた「権威」が大好きだ。自身がそのように選別され、「異質なものを排除する」記者クラブに守られているうちに、どうしても権威に寄り添う習性が共通点として生まれるのだろう。
 霞ヶ関の官僚が権威に弱く、アメリカ東海岸および英国の学会の頭脳が何よりもすばらしいと考えるように、日本のマスメディアの記者たちもまた、霞ヶ関という権威に対してめっきり弱いのだ。
 さらに、日本のマスメディアの多くはどういうわけか、欧米メディアの一部を「権威」と崇める傾向がある。「『ジ・オーストラリアン』によると」「『バンコク・ポスト』によると」といった枕詞はあまり使わないが、「『ニューヨーク・タイムズ』によると」という文言はやたら多用するといったように。
 そうした日本のマスメディアの特性がわかっていたからこそ、私は記者クラブの弊害を糾弾した『ジャーナリズム崩壊』で、それを遂手にとることにした。
権威に弱い人間に対しては権威を使え、というわけで、意識的に「私の所属した『ニューヨーク・タイムズ』の場合は……」といった表現を真似てみたのだ。
 ところで、官僚制を考察した「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」という「パーキンソンの法則」があるが、この法則はそのまま記者クラブにも当てはまるだろう。
夜討ち朝駆け」がその典型である。「あいつは何某の家に休日も含めて二年間通いつづけた。立派なヤツだ」と、無意味な行為に価値観を見出し、褒め含っているのだ。彼らにとっては「仕事をつくることが仕事」なのである。
 そのような仕事ぶりのマスメディアは、一方でスポンサー企業と馴れ合っている。スポンサー企業の幹部に対して、メディア側が「接待のカネはどこから出ているのか。情報を隠しているのではないか!」と問い詰めることはない。
むしろ仲よく食事を共にするのが関の山だ。本来の仕事」をしないほうがスポンサーからお金は出るし、上司にも評価されて出世する。
逆に、もしスポンサー企業のスキャンダルをつかんで、それを報じようとすれば、上司から「バカか、貴様は!」と叱責されることだろう。
 「餌付け」体制を整えているスポンサー企業に対し、マスメディアはその傘下にみずから入り、進んで自主規制を敷いている。
原発事故に関しても、
多くのマスメディアがスポンサーである東電から莫大な広告費を得て、接待を受けていたことが明るみになっている。
 何度でもくりかえそう。目本のマスメディアは決して「報道」ではない。たんなる「広報」だ。

政治家VS記者クラブの暗闘
 しかし近年、その閉鎖性を問題視し、記者会見のオープン化を試みようとする人物も現れている。
 一九九九年、石原慎太郎氏が圧倒的な勝利で東京都知事に就任した。当時、知事会見は都庁記者クラブが主催しており、当然、記者クラブ以外のメディアは会見に入ることができなかった。
当時『ニューヨーク・タイムズ』にいた私は、面識のあった高井英樹特別秘書(当時)に「会見に入れてほしい」と頼み、知事側がこれに応じて、会見を開放するように記者クラブに申し入れたのである。
 だがその返答は、「記者クラブ以外のメディアも出席は認めるが、あくまでオブザーバーであり、質問権はない」というものだった。
 そこで石原知事は、毎週金曜日に行われる定例会見に加え、毎週火曜日に非記者クラブメディアが自由に参加できる知事主催の会見を開催するとした。
これに対しても記者クラブは、会見場の使用を許可しない、という意味不明の行動に出る。これまで知事会見の時間と回数の拡大を求めてきた記者クラブが、みずからその機会をつぶそうとしたのだ。
 さらには記者クラブ側から、「火曜日の会見は『記者会見』としないでほしい」との要望が出された。表向きの理由は、記者クラブ主催ではない「記者会見」があると混乱する、というものだったが、内実を関係者に問いたところ、「記者会見」となれば、それを記者たちはフォローしなくてはならない、そこで重要な発表をされると困る、という、なんとも身勝手な理由だった。
 結局、非記者クラブ会見は「都知事懇談会」という名称で、講堂にて行われた。だが、結局この会見には記者クラブの記者たちも姿を見せ、会見場の片隅でメモを取っていたのだ。であるならはじめから、定例会見を開放すればよかったではないかと思ってしまう。

記者クラブはもはや完全解体したほうがよい
 しかし、それから少しずつ、記者クラブ体制は綻びを見せはじめる。
 二〇〇一年五月、長野県知事だった田中康夫氏は「脱・記者クラブ宣言」を発表し、県庁に従来あった記者室を閉鎖して、新たにプレスセンター「表現道場」(のちに「表現センター」に改称)を設置、県主催で会見を行うと決定した。記者クラブは田中氏を徹底的に批判しつづけたが、この体制は二〇〇六年に就任した村井仁知事、現職の阿部守一知事にも形を変えて引き継がれ(「会見場」)、一般人でも会見に参加できるようになっている。
 さらには二〇〇九年の政権交代後、記者クラブ開放を訴えつづけた私の意見に耳を傾けてくれた岡田克也外務大臣、亀井静香金融・郵政担当大臣(いずれも当時)らが、記者クラブに会見を開放するよう申し入れた。
当然、記者クラブ側は拒否したが、岡田氏は電撃的に、亀井氏は大臣室において、大臣主催の会見を開くことを決定。重要な情報はすべてその会見で話すようにしたため、最終的には記者クラブ側が譲歩し、正規の記者会見に非記者クラブメディアの出席を認めることになった。
 詳細はすでに第3章で述べたとおりだが、記者クラブの記者たちは当然、東電の記者会見に出席しており、放射性物質の放出を認識していたはずである。あの会見を聞いていながら放射性物質が出ていないと本気で思っていたのなら、よほど愚鈍であるか、悪質であるかの二つしかない。
仮に東電からの情報をそのまま信じたのなら、それこそ社会的な「おバカさん」と言わざるをえないだろう。

 人間は信じたいものを信じ、見たいものを見てしまう。
しかし、仮にもジャーナリストを名乗る人間が、そうであってはならない。
批判されようが、反対意見にさらされようが、真実を追求する努力を重ね、そこで見出した事実を伝えなければならない。
 このまま記者クラブを存続させれば、数十年後、彼らはまた同じことをくりかえすかもしれない。やはり、記者クラブシステムは完全に解体したほうがよい。私はそのように意見を改めたのである。

沈みゆく自分たちの船に気づかすに
 ここまで見てきたように、いまや記者クラブは完全に機能不全以上の状態に陥っている。
 『報道災害【原発編】』(幻冬舎新書)で鳥賀陽弘道氏と対談した際、精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスの「死の受容のプロセス」の話になった。死は「否認→怒り→取引→抑うつ→受容」という経過をたどるというもので、記者クラブはそのとおりの経過を道んでいると感じたものである。
ここのところ私は記者クラブを「タイタニック号」にたとえることが多い。これまで記者クラブは特等席を陣取っており、海外メディアやネットメディア、フリーランス記者たちは、そこに潜り込もうと画策してきた。
だが、船が氷山にぶつかり、いままさに沈もうという事態になっている。そこで乗客たちは、インターネットメディアという新しいボートに乗り換えて、外の世界への脱出に成功した。記者クラブメディアだけが沈みゆく船上で、「おまえたちは絶対に特等席に入るなよ!」といまだに叫びつづけている。
彼らが生きてきた世界が二次元であるならば、インターネットメディアという開放的なジャーナリズムは三次元、つまり自分たちの思考からは超越しか世界なのだろう。

情報を管理できる時代はすでに終わっている
 前章で既存メディアを「幼児」と述べたが、言論を担うべき人間のそのような「幼児性」のため、日本の言論空間もまた、未発達のままである。
 かつてマッカーサーは「日本人の精神年齢は十二歳」と言い放ったが、小さな世界しか知らず、自分の殼に閉じこもり、知らないものがやってくると真っ先に攻撃を加えようとする幼児性は、日本のマスメディアによって体現され、日本人の精神性に悪影響を及ぼしている。
 現代では、インターーネットメディアや海外メディアの台頭によって、さまざまな情報が世の中に出回るようになった。インターネットを活用している人間、また日本人でも海外を基点としている人間は、情報の扱いに関してこの「幼児性」から脱却している。そもそも情報は多様であることを理解し、多くの情報のなかから、リテラシーを働かせて自力で「真実」を読み取っているのだ。
 日本人が既存メディアによる「洗脳」から解き放たれるには、「日本の言論空間は決定的に未熟である」という厳然たる事実をまずは認識し、記者クラブメディア以外の情報にふれることが不可欠だろう。
 ネット世界の本質を知らない人間は、情報は管理できるものと信じて疑わない。しかし、のちの章でも指摘するとおり、そのような時代はすでに終焉を迎えたのだ。私は『朝生』が終わったあと、細野氏にインターネットを積極活用することをすすめた。実際に端末をいじっているだけでも、少しずつだが、その感覚が身についてくるものだ。もちろん、世の中にはネットを利用しない人もいてなんらかまわないが、少なくとも言葉を生業にしている政治家や官僚、メディア関係者は、そうした現実を知っておくべきだ。
 これまでネットメディアを利用したことのない方がいるなら、先入観なしに一度、インターネットの世界にふれてみてほしい。そのうえで「自分には合わない」と判断すれば、新聞やテレビの世界に戻ってもかまわない。
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「 ニューメディア」への言われなき中傷
 
日本はいま世界の「周回遅れ」に
 情報産業が激動の時代を迎えている。大げさな言い方をしているわけではない。世界じゅうで急速に「ニューメディア」が台頭し、さまざまなシーンで絶大な影響力を発揮しはじめているのだ。
 「ニューメディア」とは何か。簡潔に定義づけるなら、それは情報発信技術(パソコンや携帯電話など)を使い、ウェブサービスを経由することで、一方向ではなく相互作用的に情報が広がっていくメディアのことである。
 具体的には画像や動画の配信サイトである「ユーチューブ」や「ユーストリーム」、コミュニティサイトである「フェイスブック」、ユーザー参加型のニュースサイト「スラッシュドット」「Digg」、さらには一四〇字以内の短文を投稿できるコミュニケーションサービス「ツイッター」、そしてブログなどだ。
 日本でも若年世代を中心にツイッターやフェイスブックの利用者が増え、雑誌などでも特集が組まれることで、その名称はずいぶん人口に檜灸した。
 とはいえ、じつは、この分野を海外と比較したとき、この国は大きく後れをとっている。
何度も指摘したように、記者クラブ制度によって硬直化した日本の既存メディアは、つねに新興勢力を排除しつづけ、ニューメディアもその例外ではないからだ。その結果、海外で起こっているような既存メディアとニューメディアとの融合・連携が、まったくと言っていいほど進んでいない。

ウィキリークスを「暴露サイト」と表現する無神経さ
 その閉鎖性が如実に表れたのが、二〇一〇年の「ウィキリークス」騒動だった。これについては拙著『ウィキリークス以後の日本』(光文社新書)に記したが、日本のマスメディアの病の深刻さが明確に見て取れる事象なので、あらためて状況をふりかえってみたい。
 ウィキリークスとは、オーストラリア出身の元ハッカーであるジュリアン・アサーンジ氏が創設した、機密情報を投稿するウェブサイトである。
政府の情報は国民のものという見地から「権力者が人々に知られたくない不都合な情報を暴くこと」を目的に設立された。
惰報提供した個人が特定されることのない匿名性を重視している点が特徴だ。
 ウィキリークスが最初に世界に衝撃を与えたのは、二〇一〇年四月のこと。
イラクに駐留しているアメリカ軍ヘリコプターがイラク市民を銃撃した映像が、ウェブ上で公開されたのである。続いて七月二十五日、アフガニスタン紛争に関する機密資料約七万五〇〇〇点を公表。世界じゅうが騒然となり、各国政府は対応に追われることになった。
 これを受け、私は七月二十七日、記者会見で岡田克也外相(当時)に、ウィキリークスについて問い質した。彼は明確な返答を避けたが、むしろ驚くのは、それ以降、だれ一人としてウィキリークスについて質問する記者がいなかったことである。
ようやく日本のマスメディアが反応を始めたのは、十一月にアメリカ外交機密文書約二五万点が公表されるにいたってから。世界から半年遅れだった。
 その反応も、海外のそれとはまったく逮っていた。
アメリカ外交機密文書が公開される直前の十一月二十三日、北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃するという事件が発生し、日本としても看過できない国際問題だけにメディアで大きく報じられることになる。
 だが、そのたった二日後に日本を席捲したのは、なんと歌舞伎役者の市川海老蔵氏が、東京都内の飲食店で顔などを殴られ大怪我を負った、いわゆる「十一代目市川海老蔵暴行事件」だった。
海外ではこの日、アメリカ外交機密文書が週末にも公開されるのでは、と大騒ぎになっていたが、日本においてはテレビから新聞まで「海老蔵暴行事件」一色となってしまったのだ。
 十一月二十九日、世界各紙がいっせいにアメリカ外交機密文書の公開を始める。だが同日、日本におけるトップニュースは、海老蔵氏の顔面を殴ったとされる青年に逮捕状が出されたことだった。さらに十二月七日、スウェーデン女性への性的暴行容疑で国際手配されていたアサーンジ氏が出頭・逮捕された(彼はすべての容疑を否認している)が、このときも日本のマスメディアがトップで報じたのは、海老蔵氏の謝罪会見だったのである。
「海老蔵暴行事件」が取るに足らないと私は言っているわけではない。しかし、公共放送のNHKをはじめ、すべてのメディアが終日この事件をトップニユースとして報じる状態は、まさに異様以外の何物でもなかった。
 アメリカ外交機密文書は間違いなく、日本という国家にとっても重要な意味をもつものだ。しかも公開された機密文書のなかで、在日アメリカ大使館、領事館などから本国に向けて発せられた公電は五六九七通と、トルコ、イランに次いで三番目の多さだったのである。
 さらにいえば、世界じゅうのあらゆるメディアは、ウィキリークスの漏洩情報が事実であるかを取材・検証し、その後、なぜアメリカ政府がそれを隠したのかを批判的に報じた。国務省の公電漏洩事件も同様に、二五万点もの公電が本物であるかどうかに関心を寄せ、取材によって本物だとわかると、米国の危機管理能力の欠如と世界戦略の傲慢さを批判した。
 しかし日本のマスメディアには、七月にアフガニスタンに関する機密文書が公開されて以降、文書の真偽を検証する動きは見られなかった。
 それどころかむしろ、ウィキリークスを「暴露サイト」と記し、サイト自体を揶揄する文言だけが飛び交うありさまだった。政府はともかく、海外メディアでこうした表現を用いた例を、寡聞にして私は知らない。

ネットメディアの情報は信用ならない?
 もう一つ、その閉鎖性が実感できる例を挙げよう。
 二〇一〇年十一月四日、尖閣諸島沖における中国漁船衝突の映像、いわゆる「尖閣ビデオ」がユーチューブに投稿され、日本じゅうを震憾させた。このときは、さすがにテレビも新聞も「ユーチューブ」とその名称を報道したが、一方で、それまで使っていた「動画投稿サイト」という言い方を相も変わらず続けていたメディアも少なくなかった。
 何より、報道後には必ず「これが事実かどうか、わかりません」といった留保がつけられた。ネットメディアの情報は信用ならない、という前提を伝えたかったのではないか。
 二〇一一年二月にアラブ諸国で発生した民主化運動、いわゆる「ジャスミン革命」についての報道にも、日本ではネットメディアに対する過小評価が見て取れると言わざるをえない。当初こそ、ツイッターやフェイスブックなどの影響力にふれていたものの、しだいにその観点は薄まっていった。
海外メディアの多くは、これを「ソーシャルネットワーク革命」と報じたが、同様の視点でこの現象をとらえた日本のメディアは少数だった。
 じつはイラン、モルドバ、タイなどでも、二〇一〇年から反政府デモが発生している。それらはすべて、ツイッターなどのネットメディアによって、若年層が自然に連帯して起こったものだ。
いったん鎮圧されたイランやモルドバの反政府デモが再燃したのは、ツイッターやフェイスブックなどによる再度の呼びかけがあったからである。タイにいたっては、タクシン元首相が亡命先のUAEから、ツイッターとユーストリームを通じて連日、反政府デモを呼びかけ、それに若い農民たちが呼応した。
 それほど重要度を増しているツイッターの存在について、日本のマスメディアは「ミニブログのようなもの」と表現し、その真の意味にまで踏み込むことはなかった。
 正式名称を表に出さない。レッテルを貼る--これこそ日本のマスメディアの卑劣な常套手段だ。その意味は、固有名詞を出すのを避けることにあるのだが、ふだん知的財産の権利についてうるさく主張しているマスメディアの自己矛盾が、ここに見て取れる。
 そういえば、私が代表を務める「自由報道協会」で行われた会見がテレビや新聞の記事で使用されても、そのクレジットが出されたことは皆無だ。
これもまた、既存メディアのアンフェアな戦略の一つである。
 これまでには存在しなかった新興勢力が出現したとき、本来ならば相手を研究し、分析して、対峙もしくは協力する。その力が侮れないとなれば、取り込みにかかる。すでにふれたように、世界のメディアはそうやって成長してきた。
 だが、日本のマスメディアは違った。自分たちが乗っ取られるのではないか、利権が脅かされるのではないか、とまず恐怖を抱く。そしてネットメディアを過小評価、もしくは見て見ぬフリをする。
 彼らは、こう反論するかもしれない。「インターネットにはウソやデマが多いからだ」と。しかし私にしてみれば、名前や顔も公表しているジャーナリストが、意図してウソやデマを流すことができるだろうか、と言いたい。
 あるいは、ネットメディアには検証可能性がないという批判もある。
これも間違いだ。じつはネットメディアのほうが検証可能性は高い。
私のツイッターをさかのぼれば、過去に発言した内容が、間違いも含めてすべて明らかになる。永遠に記録が残るのだ。
 むしろ、検証可能性が低いのは既存メディアのほうだろう。そもそも新聞記事は、ほぼ匿名で、だれの取材によるものなのかわからない。


いまや中国メディアのほうがよっぽど進歩している
 このような既存メディアにかかると、ニユーメディア自体のみならず、それらに対して理解のある人たちまでもが批判にさらされる。情報の最前線を行く人間は、ことごとく叩かれ、場合によっては社会的地位すら失いかねない。
 先に挙げた堀江貴文氏をめぐる報道が象徴的だろう。彼が登場したとき、あらゆるメディアは「時代の寵児」ともてはやした。しかし、証券取引法違反の疑いで検察当局が動いた瞬間、いっせいに叩きはじめたのである。以後、既存メディアで彼を好意的に採り上げたところがあっただろうか。
 堀江氏だけではない。「2ちゃんねる」の創設者であり現在は「ニコニコ動画」を運営するドワンゴ取締役の西村博之氏、ユーストリームの運営会社であるソフトバンクの孫正義氏などもそうだ。
 こうした傾向はツイッターなどを使いこなしている政治家たちにも見られ、既存メディアから敵意を向けられる。こちらも実例を見ておこう。
 二〇一〇年二月にチリ地震が発生した際、日本にも津波が到達するとの予測がされた。そのとき原口一博総務相(当時)は、津波の危険性や避難を、ツイッターで積極的に流した。
これに対し『読売新聞』は、このように批判的に報じたのだ。

 放送行政と総務省消防庁を所管する総務相が、災害放送が義務づけられる放送機関より、ツイッターの利用を優先させる考えを示したことは、今後、論議を呼ぶ可能性がある。(『読売新聞』二〇一〇年三月二日付)
ツイッターも重要な情報発信ツールだが、既存メディアはそれがみずからに優先することが許せなかったのだろう。
 だが実際はその後、総務省はじめ首相官邸を含むほぼすべての官庁がツイッターのアカウントを開設し、災害情報や公的情報を発信している。
厚顔なことに、『読売新聞』自身も、自社の速報をツイッターで流しはしめた。
 二〇一一年三月三日、『産経新聞』は「原口総務相はツイッター(で遅刻)」と、閣僚会議に遅刻した理由がツイッターにあるとの記事を掲載した。
その直前、原口大臣が投稿をしていたからだという。
 しかし、ほんとうの原因は、役人が開始時間を間違えて連絡していたからで、ツイッターの使用とは無関係だった。もちろん、この報道が訂正されることはなかった。何かにつけてニューメディアを悪者にしようとの意図があるのは、ここからも明らかだ。
 昨今、あの中国メディアのほうが日本のメディアよりもよっぽど進歩している、と私は信じて疑わない。
 中国のメディアが共産党政権のプロパガンダであるのは多くの人が指摘するとおりだが、じつは中国のメディアはテレビだけでも、大都市であれば七〇局以上が存在する。数が多ければ、競争によって多祥性と独自性が生まれる。記者クラブ制度とクロス・オーナーシップによって言論統制が敷かれ、事実上、情報が一元化されている日本のメディアとは太違いだ。
 二〇一一年七月、中国浙江省温州市で起きた高速鉄道事故にしても当初、共産党政権は事故車両を埋める暴挙に出た。
しかし、ネット上での国民の声や独立系のジャーナリストたちからの批判が収まらなかったため、翌日には掘り返すといった措置をとらざるをえなくなった。
中国ですら、情報隠蔽が一日しかもたない時代になったのである。
 すでに中国人自身は、マスメディアは真実を報じていないことを自覚しており、ネットメディアにこそ真実があると考えるようになっている。
中国の既存メディアもその影響を受け、ジャーナリズムの本義である「真実を伝える」姿勢を示しはじめている。
 ひるがえって日本のマスメディアはどうか。閉鎖的な環境のなかで「ぬるま湯」に浸かってきたため、変化を恐れ、自己改革することができない。一九九五年、石原慎太郎氏は衆議院議員を辞職するにあたって、国会で、日本が国家として明確な意思表示ができないことを指して「去勢された宦官のようだ」と演説したが、まさしくこの言葉は、日本のマスメディアにこそ当てはまるのではないだろうか。

ほとんどがツイツターの使い方を間違えている
 だからなのだろう、日本ではいま、マスメディア界以外の人間のほうが、ニューメディアを積極的に活用しようとの機運を見せている。
政界でも自民党の谷垣禎一総裁やみんなの党の渡辺喜美代表をはじめ、多くの政治家が動画配信を始めるようになった。
 これは悪くない傾向だが、残念なことに、ほとんどが利用の仕方を間違えている。端的にいえば、テレビと同じ使い方をしているのだ。
 ネットメディアの強みは、動画の配信中にリアルタイムでコメントを採り上げ、やりとりすることができ、それによって視聴者と意思疎通を図れる点にある。情報の流れが一方通行であるテレビとは、まったく異なるメディアなのだ。
 ツイッターにしても同様である。双方向でやりとりをしてこそ、それは真の効果を発揮する。最近ではようやく、新聞社やテレビ局も企業アカウントを取得して情報を発信しているが、基本的には紙面に掲載している記事をそのまま配信しているにすぎない。
 海外でも『ニューヨーク・タイムズ』「アルジャジーラ」など、多くのメディアが以前からアカウントをもっているが、同時に各メディアに所属する記者自身も個人のアカウントをもっていて、各自が自由に情報発信をするとともに、それを情報収集にも活用している。
 日本の大手メディアでは、記者が個人アカウントをもつことは原則禁止という驚くべきルールをつくっている社が多い。少なくとも、よほど立場のある人物でないかぎり、名前を公表してツイッターを利用している記者は皆無と言ってよい。
 余談だが、全体的に見れば、ニューメディアのなかでも、ツイッターは「日本人向き」のツールだろう。
 いま世界でもっとも影響力のあるコミュニティサイトは、八億人もの会員数を誇る「フェイスブック」だが、「日本でフェイスブックは流行らない」と私はかねてより言いつづけてきた。
実名登録制で、生年月日や学歴、メールアドレス、勤務地など、個人情報の登録を必要とするからだ。社会的・文化的に匿名性を好む日本人には、個人プロフィールを公開する必要のない「ミクシィ」のほうが好まれる。しかし残念ながら、「ミクシィ」は海外では無名だ。
 ツイッターは、フェイスブックとミクシイのちょうど中間くらいに位置するものである。世界じゅうの人々につながり、だれとでもアクセスできるので、利用している人間は多い。

発信する「組織」ではなく「個人」で情報を見る目
 ニューメディアの趨勢が強まるなか、日本人のなかに、これまでにはなかった現象が起こりつつある。たとえば、私が講演などに招かれて現地に赴くと、アイドルでもないのにサインや写真撮影を求められるのだ。
 このようにジャーナリストが注目される現象は、十九七〇年代以降、アメリカなどでは見られたが、それがついに日本でも起こっているということなのだろう。当時、アメリカなどでは、情報を発信する「個人」に目が向けられはじめていた。日本人もようやく、物事を見る目を、組織単位から個人単位に向けはじめたのではないだろうか。
 なぜ個人単位で見ることが望ましいか。それは、情報リテラシーの見地から真偽を判断しやすくなるからだ。
 情報を発信する者の出自、職歴、過去の発言を確認できれば、情報を分析する手がかりとなる。
私であれば、鳩山邦夫事務所の元秘書で、その後、『ニューヨーク・タイムズ』という比較的リベラルな新聞社に所属し、フリージャーナリストに転じた。
このことから「思想はどちらかというと、保守から中道左派に移ったかもしれない。記事もその傾向になる可能性があるだろう」などといった具合に、想定できるのである。
 海外の場合、たしかに『ニューヨーク・タイムズ』は上質で、きちんとしたジャーナリズム活動を行っている新聞だと評価されている。しかし、だからといって海外の読者は、「『ニューヨーク・タイムズ』だから正しい」とは考えない。記者にはそれぞれ個性があり、人間であるから間違いも犯す、とあらかじめ理解しているのだ。
 一方、日本では、先にも述べたように記事は匿名が多く、評価は新聞全体で行わざるをえない。読者は、その新聞をまるごと信じるか、疑うかの二択を迫られてしまう。
 だが、一般的にリベラルと言われる『朝日新聞』のなかに、何千人もの記者が存在することを知っているだろうか。「○○新聞は正しい」と考えるのではなく、「○○新聞の○○記者のこの記事がどうか」と、一つひとつ自分で判断することが、やはり望ましいと思うのである。
 発信する人物の名前と顔を見て、情報を選びはじめたことは、東日本大震災をきっかけに日本人に生じた好ましい変化だろう。そのような経緯とあわせて、これまでに見たようなニューメディアの発達がある。
その役割と影響力は拡大こそすれ、衰えることはない。人間社会は知らないことを知ることはできるが、知ったことを知らなくすることはできないのだから。
 ならば今後、情報の受け手側である個人は、どのようにネットメディアにふれ、使用すればよいのか。情報の取捨選択についてどのような点に注意すべきか。個人と情服、メディアとの関係構築のあり方について、徹底的に考察してみたいと思う。
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世界標準のジャーナリズムを目指して
 
大切なのは情報の「正しさ」よりも「信頼性の度合い」
 インターネットの登場によって情報通信社会が到来し、われわれの生活には大きな変化が生まれている。ネットというツールによって、マイクロながらも個人がメディアをもつことで情報を発信できるようになり、発信者の限られていた時代とはくらべものにならないほどの情報が世界を駆けめぐっている。
 そのような「情報の爆発」のなかで、個々人は、みずから得る情報が有益か、あるいはそうではないかを判断しなければならない。だれもが「情報リテラシー」(情報を使いこなす力)を備えなければならない時代になっているのだ。
 しかし、くりかえし述べてきたように、これまで記者クラブ体制によって生み出された、一偏的でかつ限定的な情報にしか接してこなかった日本人にとっては、そもそも多様性に富んだ情報を読み解いていく作業自体に馴染みがない。
 かつて、ほんとうに優秀なビジネスマンは、『ウォール・ストリート・ジャーナル』『フィナンシャル・タイムズ』『日本経済新聞』の三紙を読み込み、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの経済情報を把握することに努めていると言われた時代もあった。
一方で、日本の平均的なビジネスマンは『日本経済新聞』『朝日新聞』『読売新聞』など、せめて三紙は読んでいればよいと言われたものだった
 ところが、ここまで本書を読まれた方ならおわかりだろう。そうした人物が決して世界では通用しないことを……。なぜなら三紙とも記者クラブメディアで、つまるところ、情報源は同じなのだから。
 ネットメディアが台頭し、記者クラブ発ではない情報が流れるようになって、はじめて、日本人は多様な情報の存在に気づき、それらを比較できる環境に身を置くことになった。
 それにより、これまでは正三角形だと信じていたものが、さまざまな角度から見くらべることで、じつは二等辺三角形だったり、三角錐だったり、あるいはまた円だったりすることがわかりはしめた。情報の見方もまた同様であり、きっと三角錐の事実に匹敵する発見があるはずである。
 そこで、新時代における情報の取り扱い方について考えてみよう。
そのような時代においては、発信者がすべての情報の「出典」と「信頼性の度合い」を明らかにすることが、全体の「情報リテラシー向上」につながることを、まずは指摘したいと思う。
 私は福島第一原発事故の直後、ツイッターで「メルトダウンの可能性がある」と発信したが、第3章でも述べたように、「メルトダウンは確認できていないのでありえない」と既存メデイアはその可能性を否定した。
いまからふりかえれば明らかに「誤り」だったにもかかわらず、無謬主義に陥っているがゆえに、結果として情報を訂正できないでいるのだ。

 情報発信の際には、可能なかぎり、そのソース(出典)を明示することも大切である。その情報が何に依拠しているかを示すことで、その情報を受け取った人があらためて確認しやすくなるからだ。
みずからの取材による情報であれば、その旨を書けばよいが、場合によっては「○○新聞の報道によると」といったものでもかまわない。
 ただし、匿名はもちろんのこと、日本の新聞が多用するような「~なことがわかった」では意味がない。

だれもがキュレーターになりうる時代
現代は発信された情報を選別し、再度発信することが日常化している。これを「キュレーション」と言う。この概念を世に広めたジャーナリスト・佐々本俊尚氏の定義に従えば、それは「情報を収集し、選別し、意味づけを与えて、それをみんなと共有すること」であり、その行為者を博物館の学芸員になぞらえて「キュレーター」と呼ぶ。 ソーシャルメディアが普及した社会においては、だれもがそのようなキュレーターになりうる。

「オプ・エド」が世界の常識
 では、情報を受け取る側はどうだろう。発信者と同様、やはり人間たるもの自分の好む情報を集める傾向があり、どうしても情報には偏りが生じてしまう。
先に述べた平均値のキュレーターを見つけることが望ましいが、そもそも何が平均値かを判断するための材料を集めること自体が容易ではない。その解決策として、ある問題に対して正反対の二つの意見を見つける方法があるだろう。
 そこで大切なのは、どちらの意見を採用するかを決めるのではなく、一つひとつの論点を吟味すること。「この点はこちらに賛成。しかし、この点についてはもう一方に賛成」といった具合に。
 海外では初等教育の段階でディベート教育が行われている。そのおかげで、こうした客観的観察力が自然と身につくのだ。生徒たちを二つのグループに分け、ある問題に対してそれそれに賛成・反対の役割を与えて、互いに討論させる。
一定の時間が経過したのち、立場を入れ替えて、それまでとはまったく逆の意見から討論に参加させる。そのような訓練を続けるなかで、世の中には絶対的な意見などない、と多様なものの見方ができるようになる。
 一つの問題に対し、正反対の論説を並べる記事を「オプ=エド」(オポジット・エディトリアル)と言うが、じつはいま、世界じゅうの新聞でこのオプ=エドが採用されている。
 残念ながら日本の新聞では、一つのメディアが異なる見解を同時に採り上げてはいけないという前近代的な規制があるため、それは実現されていない。さらにはディベート教育が十分に行われているとは言いがたく、そのような状況が重なって、日本人は自分と異なるものの見方をなかなか許容できなくなってしまったのだ。だからこそ、記者クラブとは異なる情報源を提示し、世界のジャーナリズムのルールを体現する場として、私は自由報道協会を設立したのである。
 本来、ジャーナリスト(編集者やカメラマンを含む)であるなら、だれもが公平な取材機会に恵まれ、多様な価値観をもって、それらを報道する権利がある。ところが、日本においてのみ、そうしたメディア環境にはなっていない。それは、いまなお存在する記者クラブという古いシステムが、政府をはじめ公式な記者会見を勝手に独占し、同業他社を排除して情報カルテルを形成しているからにほかならない。

『読売新聞』記者との争いはなぜ起こったか
 われわれ自由報道協会の主催する会見には、記者クラブメディアも参加可能としている。同じ穴の狢と受け取られたくないからである。つまり、自由報道協会はあくまで世界標準のルールに則って記者会見を運営している。
 だからこそ、そこでは既存メディアとのあいだで意見の違いが浮き彫りになることがたびたび起こっている。
 二〇一一年十月二十日、自由報道協会で行われた小沢一郎氏の記者会見で、『読売新聞』の恒次徹記者と協会代表である私とのあいだで「争い」が生じた。それを受けて、私が恒次記者に暴言を吐いたとされる記事が各メディアで大きく報じられることになる。
しかし、これにはれっきとした理由がある。
自由報道協会では、公平性を期すため、参加者は司会者の指示に従うとする事前の取り決めがある。進行を妨げるような記者や、独り善がりの持論を展開する記者ばかりだと、会見そのものが成立しなくなるからだ。
恒次記者は、最初に了解したそのルールを守らなかった。くりかえし質問を行い、七回目の質問(一四回のやりとり)の際に、司会者から「なるべく簡潔にお願いしたい、このへんで区切らせていただきたい」と注意を受けた。それでも言うことを問かず、司会者の制止を振り切って質問を続け、ようやく一五回目でそのやりとりを終えたのだ。
さらに恒次記者は、ゲストが質問に答えている最中に声をかぶせて持論を展開した。会見は動画でも生中継されており、これは視聴者の開く権利を妨げ、会見自体を妨害する行為でもあった。
 私は会見後、恒次記者にルール違反を注意し、さらに、自由報道協会として『読売新聞』に、「司会者の指示に従わなかったこと」「ゲストスピーカーの言葉を追って発言を続けたこと」の二点について抗議文を提出した。
 「ルールを守ってほしい」という協会の要望に対し、恒次記者は「司会者の司会が不当な場合もある」とも応じた。
私はそれを聞いてはじめて激怒したのである。協会では公平性を重視して、司会者に外部のフリーアナウンサーを採用している。質疑応答の際、だれに当てるのかは、その日の司会者の判断しだい。そこで「司会者が悪い」と責任転嫁することは、とうてい許される言動ではない。
 つまり、記者クラブメディアの常識は世界の非常識であることを、この騒動で披らはみずから知らせてしまったのだ。
 私がいま、既存メディアよりもネットメディアのほうが健全だと考える理由は、そのルールがより世界標準に近いからだ。
それ自体の良し悪しは措くとして、通信のネットメディアはオンラインにしているかぎり、世界じゅうとつながっている。そのため、たとえ日本国内であろうと世界共通のルールに従わざるをえない。匿名性を好む文化が日本にはあるが、ツイッターやフェイスブックで「俺は顔も名前も明かさない」と言ったところで、世界じゅうの人々が見ているなかで、その行為に意味のないことは自明だろう。

 騒動ののち、私は協会側に暫定代表の任を辞する旨を申し出た。だが、これは決して『読売新聞』への謝罪を意味するものではない。公益法人をめざす自由報道協会のトップが、暴言を吐くスキャンダラスな人間であることはふさわしくないし、協会に寄付を寄せてくれる支援者の方々への責任もある。
その観点から辞表を提出しかのだ。結局、辞任届は受理されなかった。
その後、二〇一一年十一月十一日に行われた代表理事選挙で、私は正式に協会代表理事に選出され、現在にいたっている。

自由報道協会の目的は「フェア」な言論空間
 じつは、私が『読売新聞』記者に対して厳しい姿勢を見せたのには隠れた理由があった。
自由報道協会で開催される予定のダライ・ラマ法王の記者会見が、その半月後、二〇一一年十一月七日に控えていたからである。日本人に一刻も早く世界標準のジャーーナリズムを理解してもらいたい思いから、協会発足当初より世界的な要人を会見に招待すべくアプローチを続けてきたが、その一人がダライ・ラマ法王だった。
 これまでダライ・ラマ法王の会見はFCCJ(日本外国特派員協会)で行われることが常たった。ちなみにFCCJでの会見は通常、英語で行われるため、日本の記者クラブメディアがそれを報じることは多くない。
さらに深刻なことに、記者クラブメディアは中国政府や日本外務省に気をつかうあまり、長年、「ダライ・ラマ」という言葉自体をタブー視する傾向にある。
 さらに、自由報道協会の会見なら、インターネットを通じて世界じゅうにリアルタイムで配信できる。しかも、編集加工されることもない。
アーカイブにも残るので、会見終了後でも好きなときにアクセスすることができる。このような点も、ダライ・ラマ事務所には魅力的に映ったようである。
 くりかえしになるが、自由報道協会の会見は、世界じゅうの健全な記者会見がそうであるように、すべてのジャーナリストに対してアクセス権を認めている。ダライこフマ事務所に「中国のメディアも来ます」と伝えたところ、「歓迎です。優先して入れてほしいぐらいだ」との返事があったほどだ。
 つまり、ダライ・ラマ法王もまたフェアな考えの持ち主なのである。
賛同にせよ、批判にせよ、事実をきちんと伝えたうえで、各人が判断してもらいたい、ということなのだ。
 アクセス権の平等な空間で言論を闘わせるという世界標準のジャーナリズムが存在しないこの国では、やはり民主主義の重要な理念が欠落していると言わざるをえないし、福島第一原発の事故で見られたような「犯罪的」な報道もおのずと起こってしまうのだろう。
 
ならば口先だけではなく率先垂範で、フェアな言論空間を提供する場をジャーナリストみずからが構築すべきではないか。自由報道協会を、そのような一つの手本にしてもらえればよいと考えている。

記者クラブもろとも地獄に落ちる覚悟
 すでに述べたとおり、二〇一一年いっぱいをもって私はジャーナリストを休業した。自由報道協会を通じて、記者クラブヘのオルタナティブな視点を提供できる日本人が、かなりのボリュームで誕生したと判断したためである。
 今後はこれまでとは異なるアプローチで、記者クラブシステムを変えることを追求していきたい。
 いわば、内側に入り込んで個人的に「同業者批判」を展開するのがこれまでの戦略だったが、二〇一二年一月以降は、自由報道協会代表としての活動がメインとなるだろう。メディアではない非営利団体である自由報道協会は、いわば歪んだシステムに対するアンチテーゼだ。
そこで良質な記者会見を開催しつづけ、公的機関に対して記者会見のオープン化を申し入れていくといったアプローチをとっていくことになる。
 さらに今後は、次世代のジャーナリスト育成にも力を入れていきたい。
 すでに着手を始めている部分もあるが、たとえば三ヵ月をワンクールにしてインターン(実習生)を受け入れる。会見ごとに責任者を決め、ゲストスピーカーとの事前の打ち合わせから当日の会見まで、その多くを責任をもって取り仕切ってもらう。そうした経験を積ませることで、ジャーナリストとしての自覚を育てるためだ。また、二〇一二年一月二十七日の協会発足一周年を機に、「自由報道協会賞」と題するアワードを創設した。その対象者は協会関係者に限定せず、全世界のあらゆるジャーナリストに門戸を聞いている。一般公募で、選考過程にも一般の方の投票システムを採用しており、「世界でいちばん聞かれたジャーナリズム賞」を掲げている。
 この協会からジャーナリストが育ってくると、情報の流れ、さらには記者の育成ラインが変わってくる。いまでも日本では、記者クラブシステムを通過しなければジャーナリストにはなれない仕組みになっているが、違うラインが生まれれば、まったく異なるかたちでジャーナリストになるルートができる。そのチャネルから人材が輩出すれば、しめたものだ。
 要するに人・権力・権限を保持しているからこそ記者クラブは強固なのであり、そのなかにいる人が流れ出せば、そこから自動的な瓦解が始まることだろう。 いつだったか、記者クラブシステムを変えようとする私を指して「上杉テロだ」と非難した記者がいた。たしかに、既得権益にまみれたアンシャン・レジームからすれば、私はテロリストに見えるのかもしれない。
 しかし何度もくりかえすように、世界のなかで、日本のジャーナリズムこそきわめて異質なシステムをとっており、カルテルとも言うべきその歪みにより、あらゆる問題が噴出しているのが現実なのだ。
 遅かれ早かれ、情報革命によって記者クラブシステムは崩壊するだろうが、その時期が遅れれば遅れるほど、日本人が受ける損害は大きくなる。その時計の針を少しでも早く進めることが、借越ながら私の役割だと自任している。
 もちろん、官報一体の巨大なシステムに挑んで無傷でいられるとは思っていない。白分か助かりたいと思えば、人間は弱くなる。
システムもろとも地獄に落ちる覚悟で、私はこれからも日本のジャーナリズムの刷新に挑戦しようと思う。

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おわりに-「インチキ記者」と呼ばれて
   ここまで本書に目を通してくれた方ならもう、日本の言論空間には、記者クラブシステムという一つの流れしか存在していなかったこと、そのなかで、あらゆる情報が「官報複合体」の承認なくしては「なかったこと」にされてきた現実を理解いただけたのではないだろうか。
第2章でふれたように、そのようなシステムのおこぼれに与っていた雑誌メディアも含め、日本のジャーナリズムは、その構造から脱することができなかったのである

 その問題点を指摘する声は私以外にも少なくはなかったが、一方で「記者クラブがなくなったらどうするんだ。ほかの情報はインチキじゃないか」との声が絶えることもなかった。
 そうした反論に対し、「ほかにもこういう流れがありますよ」と、日本の言論空間に、はじめてオルタナティブを提示できたのが自由報道協会である。
 とくに「3.11」以降の「マスメディア離れ」のなかで、その影響力は日ごとに強まっていると実感する。
第7章でふれた『読売新聞』との衝突にしても、結果的に記者クラブメディアがその存在を無視できなくなり、検証記事をつくって自由報道協会の名前を出さざるをえなかった時点でもはや、自由報道協会と記者クラブは同じ土俵に乗ったともいえる。
ひるがえっても、インターネットの役割は大きい。カオスのなかで「2ちゃんねる」が生まれ、政治家がブログでみずから言葉を語り出しだのは、わずか十年ほど前のことだ。当時は、その社会的な認知度は高いとはいえず、市民権も得ていなかった。その後、ツイッターやフェイスブックが登場し、世の中の情報の流れは大きく変わってきた。インターーネットというもう一つの流れが、ツイッターやSNS、ニコニコ動画などのツールによって結合され、大きな束になったのだ。それらネットメディアを駆使する記者たちがいま、自由報道協会に集まっている。彼らは思想も考え方もバラバラだが、「アクセス権から排除された人たち」という意味で強力な共通点をもつ。だから、われわれはいっしょに戦える。
*
 最近、「何か上杉さんをそこまで動かしているんですか?」という質問を受けるようになった。端的に答えるなら、それは、日本において健全な言論空間が育つことが、結果的に、この国の未来をよくする、との確信であり、『ニューヨーク・タイムズ』時代に学んだ知識や経験を含め、ジャーナリズムに対して、さらには日本社会に対しても恩返しをしたい、との信念である。
 さらにいえば、日本の言論界において、地位や名誉などなんらかの栄誉を得たいという欲が、いまの私にはまったくなくなったことも大きいだろう。
OO賞などのアワードがほしいと思ったこともない。だからこそ、日本のほかのジャーナリストが踏み込まない領域にまで突っ込むことができるのではないか。
 思い起こせば、幼少期の経験がもとになって、そのような性格が形成されたのではないかと思う。中学卒業とともに家を追い出された不安定な家庭環境のなかで、結局、白分か生きていくだけの生活費があれば十分、いくらお金を貯めても、あの世まではもっていけない、と感じるようになった。
 二十代のころは、貯金が100万円を超えると「堕落する」と不安に思ったものだ。お金があると、しばらく遊んで暮らせる。実際にそうしたあと、やはりお金があるといけない、と後悔するのだ。そのうち仕事が増え、稼ぎが多くなっても、ある程度の金額を超えると寄付したり、別のことに使ってしまう。もともと性格が怠惰であるからこそ、逆説的に、安定することを避ける傾向になった節がある。
 テレビや講演などの活動をメインにしたほうが、取材をして原稿を書くより効率がよいこともわかっている。しかし、そうした選択を当時の自分は許せなかった。こんな性分だからこそ、稼いだお金の大半を言論空間の健全化のために注ぎ込んでも、「もったいない」と思うことがない。
 結果にとらわれず、世間の評価を気にせず、自分のやりたいことに従って生きる-- 一般的にこれは困難なことだと見なされがちだが、じつはそれほど難しいものでもないと思う。
 もともと私は、星が好きだった。小学校高学年のときには、天文学者になりたいと真剣に考えていたほどである。当時、東京のど真ん中の空はいまほど綺麗ではなく、星といえばシリウス、明けの明星くらいしか見えなかった。そこで講談社の「ブルーバックス」シリーズなどをそろえて、星の見えない室内で想像を働かせ、宇宙に思いを馳せたのである。
 当時は、ビッグバンによる拡張宇宙の理論が一世を風扉しているころだった。その理論の虜になり、たとえば、百三十五億光年先に理論上の宇宙の果てがあるのか、とか、いま見ているハ.六光年離れたシリウスの光は八年以上前のものなのか、などと空想していたものだ。そんな宇宙の広大さと自分自身のスケールを考えたら、自分の存在など、なんとちっぽけなものだろう-- 若者にありかちなニヒリズムに私は陥った。たとえ現世での名誉や利益を求め、仮にノーベル賞を獲り、総理大臣になったところで、それがどうしたというのだ。結局、数十億年後には太陽の赤色巨星化にともなう拡張によって、地球の軌道まで呑み込まれ、地球も人類も滅びてしまう……。
 ならば、「こんな奇跡的な確率で生まれ、生きつづけている。せっかく一度しかない人生なんだから、楽しむしかない」。逆にそう思うようになったのだ。
 つまり、自分が納得できるかどうかがすべての判断基準となり、よって「上杉はインチキ記者だ」と他人に言われようが、どうぞご自由に批判してください、としか思えなくなってしまったのだ。
 そういうわけで私は、ジャーナリストを休業しても、みずからのこうした思考に従って、歩む方向を変えるつもりはない。この国のジャーナリズムを刷新し、日本に健全な言論空間を構築すべく、これからも、とことんまで突っ走っていくことを宣言する。
  二〇十二年一月
 上杉 隆
広島・長崎に原爆を投下したのが誰か、 日本人が覚えようとしないのは何故か
1945年8月6日,9日 広島・長崎に原子爆弾が投下された。 人類のかつて経験しない出来事に、 世界は震撼した。「ロシアの声」より

 米国は原爆の使用について、今でも謝罪していない。原爆攻撃は必要性に基づくものではなかった、と歴史学者たちは証言している。
米国はただ、自らの力を誇示したのだ。戦争末期のあの時期、日本政府は戦争からの出口を模索していた。最新・最恐兵器の使用は無用な酷薄というものであった。
 にも関わらず、日本はいまに至るまで、強く謝罪を迫ることをしていない。原爆投下についても、増え続ける犠牲者名簿についても。

 ロシア科学アカデミー極東研究所日本研究室長ワレーリイ・キスタノフ氏はそう指摘する。
「パラドキシカルだ。日本国内の報道や文献でこのテーマをたどってみても、そこには『誰が』原爆を落としたのかということについての記述が欠落している。
『米国が』原爆を落としたのだ、とはどこにも書いていない。ただ原爆が落とされた、と書いてあるだけだ。どこからともなく原爆が飛んできたかのような印象だ。

何故このようなことが?
 単純な話だ。日本は戦後長らく、事実上、米国の占領下に置かれ、経済的にも米国に依存した。西ヨーロッパの戦後復興計画『マーシャル・プラン』の日本版が、米国によって策定された。
 ほとんどそれのお陰を蒙って、日本の奇跡の経済復興は成ったのだ。米国はむろん、慈善事業でそれをやったのではない。

 ソビエト連邦が勝者の側で第二次世界大戦を終えるや、世界は新しい戦争の季節に入った。
冷戦。『熱い』戦争に劣らず、長期間に及び、かつ金のかかる『戦争』である。
 米国は、アジアにおいて、第二次世界大戦の廃墟の中から、日本を筆頭とする『反共の防波堤』を早急に構築しなければならなかった。
 大戦末期における広島・長崎の原爆は、米国による、冷戦における最初のオペレーションとなった、と見なせる。

 米国は日本を、『敵国』からアジア太平洋地域における『戦略的パートナー』へと変貌させた。そうした既成事実の積み重ねの中で、日本の政治家たちは、もはや『誰が』爆弾を落としたのかということを明記することが出来なくなっていった。
 被爆地では毎年、追悼式典が行われてはいるが、日本人の意識からは、段々と、『誰が』この犯罪を行ったのか、ということの記憶が失われていっている。
 それは日米関係にとって、間違いなく、歓迎すべきことだ。米国は現在も、経済・政治・安保・プロパガンダいずれの分野においても、日本に支配的な影響を及ぼす国なのだ」

 日本は歴史を忘れっぽい。他の東アジアの国々が、歴史に関して記憶力抜群なのとは、好対照だ。中国も韓国も、日本の軍国主義の過去を忘れてはいない。再びキスタノフ氏。
 「日本は近隣諸国の結んだ統一戦線に直面している。日本が大陸における自らの侵略行為を正当化し、自らの過去の行為への評価を見直すことには、声を合わせて厳格に反対する、そうした統一戦線である。韓国との関係改善は、米国が手取り足取り仲立ちしてもなお、捗々しくない。

 植民地支配の過去がネックになっているのである。日本人自身は次のように考えている。植民地支配の時代、のちの米国と同様に、日本は朝鮮半島の社会経済的発展に大きく寄与したではないか、と。いわく、鉄道を建設し、企業を設立し、教育制度を整え・・・・・・。

 しかし、それら施策は、日本自身の利益のために行われたことだ。日本はより快適に資源を運び出すために植民地を開発する必要があった。教育制度だって、地元民を日本化する目的で整備されたのだ。さらに従軍慰安婦の問題がある。

 うら若い朝鮮女性が売春宿で日本人兵士の慰みものにされていた、という問題。韓国はこの恨みを今も覚えている。
 世代は移れど、日本の軍国主義の記憶は、朝鮮半島から拭い去られることがない。

 いま、日本の侵略行為を肯定的に再評価しようという気運がある。中国も韓国も、これを非常に注意深く見守っている。
 最新の動向としては、韓国と中国が、反日の一点でタンデムを組んだ。日本が再び軍国主義に走り、第二次世界大戦の結果を見直すことに反対するタンデムだ」

 しかし、それでも日本は、近隣諸国に対し、長きにわたる植民地支配を詫びる試みを行ってきた。その点、米国はどうか。米国政府の公式代表が初めて広島の被爆者追悼式典に出席したのは2010年になってやっとのことである。

 しかも、その時、多くの米国市民が、そのことに批判の声を挙げたのだ。5年前に米コネチカット州クイニピアック大学が行った世論調査によれば、米国市民の61%が原爆投下を「正しいことだった」と評価している。
「正しくない」と評価したのはわずか22%であった。
広島・長崎 被曝後の惨状
【スライド写真集】 爆風や熱線により焦土と化した広島と長崎。一瞬にして無防備の市民の人生を断ち切り、生き残った人たちも、体と心に大きな傷を残しました。気の弱い方は見ないほうが良いでしょう。
【スライド写真集】広島・長崎
【社説】原爆忌に考える いつもの夏と違って 東京新聞 2014年8月6日
 今年の長崎平和宣言には、集団的自衛権への懸念が織り込まれます。日本と世界の未来がどうなるか。被爆地は、その体験から鋭く感じ取っています。
 広島平和記念公園の中心で、平和の灯が揺れています。
 かたわらに立つ「原爆の子の像」の周りには、色とりどりの折り鶴が絶えません。
 モデルのサダコは被爆から十年後に白血病を発症し、回復を願って小さな鶴を折りながら、短い生涯を終えました。毎年特に八月六日が近づくと、全国から無数の鶴が寄せられます。この夏はいつもの年より多いような気がします。
 大阪府吹田市にある保育園の保護者と職員の皆さんは「子どもたちに平和な世界を!」と題する寄せ書きを添えました。
 「核兵器いらない。集団的自衛権の行使も認めないぞ!!」
 手書きの文字の端々に、不安と不信、危機感がにじんでいます。
 母親たちはここへ来て、ただ平和を祈るだけではありません。子どもたちの未来を奪う戦争の過ちを、私たちが二度と繰り返させないと、サダコの前で誓いを新たにするのでしょう。

◆ナガサキで上がった声
 長崎市の田上富久市長は、九日の平和祈念式典で読み上げる長崎平和宣言で、集団的自衛権の行使容認に触れ、戦争につながるものとの懸念を表明します。
 長崎の平和宣言は、起草委員が集まって、議論しながら内容を詰め、一編の文章に編み上げる。
 委員は学識者、被爆者、関係団体の代表など十五人。今年は三回の会合が開かれました。
 昨年は、式典に列席した安倍首相の面前で、「被爆国の原点に返れ」と政府を批判しました。
 今年五月の一回目の会合で長崎市が示した文案には「集団的自衛権」の六字はありませんでした。
 政権を支持する議員が多くを占める市議会との関係が、市長を悩ませたと言われています。しかし委員の間から「避けては通れない」との声がこもごも上がり、市長は受け入れました。
 なぜ起草委は、そこにこだわったのか。
 「被爆地の権利と義務だから」と、田上市長の背中を押した委員の一人、元長崎大学学長の土山秀夫さん(89)は、語ります。土山さんは七人きょうだいの末っ子です。大戦中は爆心地に近い長兄の自宅から、長崎医科大学(現長崎大学)に通っていた。
 母親が佐賀県の親類宅で病気療養中だった。一九四五年八月七日、「ハハキトク」の電報が舞い込んだ。ところが鉄道の切符が取れず、九日朝七時の汽車にようやく乗り込んだ。原爆投下は午前十一時二分。間一髪でした。
 母親は持ち直し、長崎へ取って返した。二つ前の道ノ尾駅で電車が止まり、原子野に一週間とどまって、救護活動に従事した。地獄絵の中にいた。
 家は吹き飛ばされていた。当時としては珍しく、兄嫁がピアノを持っていた。がれきの中から熱線で焼けたピアノ線が見つかった。近くから黒焦げになった長兄の遺体を掘り出した。
 幼い子ども二人を含む家族四人を失った。
 当時の政府がもう少し早く降伏を決断していれば、そもそも戦争など始めなければ、原爆は落ちていない。広島と長崎は愚かな政治の犠牲になった。だから今、政権にもの申す権利がある。
 自衛の名目で始めた戦争が最後にどこへ行き着くか、世界中でヒロシマとナガサキだけが、知りすぎるほど知っている。今の為政者たちに足りない、圧倒的な経験知を持っている。だから、訴える義務もあるのだと-。

◆体験という重いもの
 平和とは空気のようなものなのでしょう。誰かに無理やり鼻と口をふさがれて、抵抗して解放されて、胸いっぱいに息を吸い込むことができて初めて、本当の価値が、わかるものかもしれません。
 広島の平和宣言も、松井一実市長が就任した三年前から、公募した体験談を詳しく織り込むようになりました。体験の重さを全国の若い世代に強く訴えたいと。
 大切な空気がよどみ始めているのを、母親たちも感じています。
 重い真実の歴史を背負う被爆地が世界に向けて贈る言葉に、この夏は、いつにも増して、じっと耳を傾けます。
凶暴化する新聞記者・権力を背景として取材
【1】 新聞記者が、特定の他者に対して執拗につきまとう行為、ストーカーまがいの取材をすること。

【2】 新聞記者が、特定他者の自宅、所属組織などに、取材のふりをして、サラ金まがいに執拗に電話などをすること。

【3】 新聞記者が、取材先で特定他者の誹謗中傷をすること。自分が思っていることをあたかも取材相手が言ったようにしむけること。

【4】 新聞記者が、特定他者に直接取材せず、自分の偏見や思い込みで新聞倫理上ありえない記事を書くこと。

【5】 新聞記者が、特定他者に取材せず、特定の他者を中傷、攻撃する内容を本、メール、メーリングリスト、ブログなどに書くこと。

【6】 新聞記者が、新聞記者の名刺を出し取材した特定他者の取材内容を、記事にすることなく、議員などに特定の他者を攻撃する材料として情報提供すること。

【7】 新聞記者が、新聞記者の名刺を出し取材した特定他者の取材内容を、記事にすることなく、特定の会合などで他者を攻撃・弾劾したり、中傷・罵倒する材料として話すこと。

【8】 新聞記者が地方公務員、特別地方公務員などの特定他者を辞職に追い込むことを前提に、取材活動すること。

 総じて、第四権力としてのマスコミ権力を背景に、新聞倫理上また法的にしてはいけないストーカー的、ハラスメント的な取材行為を行うことである。
 これらはあたかも最近多くなっている警察や検察が捜査段階で自分たちに都合の良い供述を引き出そうとする行為にも似ている。両者に共通しているのは、人目に触れないところで、権力を背景として取材や取調べが行われていることである。
 新聞記者による上記の行為は、単に日本新聞協会の新聞倫理にもとるだけでなく、刑法や民法に抵触することもある。もとはといえば、一部週刊誌や夕刊紙の取材手口であった上述のことが、今では新聞記者の手口となっているともいえる。今では逆に、新聞社より週刊誌の方がよほど、取材方法に関しては、知見や節度をもっているようにさえ思える。これら新聞記者の凶暴化は日増しに酷くなっていると思える。
 もちろん、すべての記者がそうである、というわけではない。一部の記者であろうが、時として組織的、すなわち上司の命令、指示で若手の記者がストーカーまがいの取材に走ることが多い、と思える。
(青山貞一氏ブログ )より
 
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LastUpdate 2014/08/07 
〈東日本大震災追悼式〉 天皇陛下のおことば全文 
 
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北大工学部・情報工学科 計算機室にて
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「官房機密費」 まみれの札付き 「悪徳政治記者」
後藤謙次、田崎史郎、伊藤惇夫・・・この三人は「官房機密費」まみれの札付き「悪徳政治記者」
(山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』)より

つまり、誰かに、カネで雇われた「情報宣伝工作員」と思われる。
テレビ報道番組を中心にした彼等の「小沢バッシング工作」は、根拠のない誹謗中傷だらけで、その捏造報道は目に余るものがある。
 ■官房機密費まみれの札付きの政治記者、政治評論家リスト
 彼らがしゃべり始めたら「あっ、また、あの売国工作員が…」と思いつつ、チャンネルを切り替えましょう。>後藤謙次(元共同通信) 岸井成格(毎日) 与良正男(毎日) 田崎史郎(時事通信) 大越健介(NHK) 杉尾秀哉(TBS)
 ■彼らが、誰かに言わせられている「馬鹿の一つ覚え」のセリフ
「追い込まれている。」 「後がない。」 「その後の展望がない。」 「非常に厳しい。」ソース http://bit.ly/LGIXgC
 ■気を付けよう。
無知無学な情報工作員の発言に!!!

 彼等、政治記者や、政治記者上がりの政治評論家は、誰かに「官房機密費」をシコタマ貰い、せっせと「小沢潰し」に精出す情報宣伝工作員(スパイ)です。思想も良心も、そして独立国・日本の国民としての自覚も、何も持ち合わせてはいません。
言論統制
言論統制(げんろんとうせい)とは、政治権力が報道・出版・その他の言論に対して行う規制である。規制の対象や方法は様々である。マスメディアが対象となることが多いが、集会、デモ行進、個人の会話まで規制されることもある。
 概要
言論統制は主に対内的に流布する利敵情報、例えば国家政策への批判、治安・風紀を乱す主義思想、国家的に重大な機密、暴動・国内的混乱の扇動などが出版・報道・流布されないように調査や検閲を行い必要に応じてこれらの情報を操作・管理防止することである。
テレビ、新聞、ラジオ、映画、学校教育などが情報統制、世論操作に使われているが、近年ではさらにインターネットを通じてもおこなわれている。
 冥土への 置き土産に 爆弾投下 野中広務
外交の情報収集などを目的とした官房機密費予算は、年間14億6000万円が計上されている。内容が公開されることのない機密費は、国会対策等に流用されているのではないかという疑惑が囁かれてきた。そんな中、官房機密費を一手に扱う官房長官を務めた野中広務氏が番組の単独インタビューに応じ、その実態を初めて証言した。野中「国会対策に使うことが多かった。

総理の部屋に月1000万円。それから衆議院国会対策委員長、参議院幹事長室に月500万円ずつもっていかなきゃならなかった。」機密費はもともと外交の情報収集などに使用される経費とされる。だが、金は別の目的にも使われていた。

定期的に機密費が渡る先の一つ。それが歴代の総理経験者だったという。盆暮れ100万円ずつ。野中氏によれば、政界を引退した歴代首相には機密費から毎年200万円が渡されていた。支払いは自民党の元首相だけで長年行われていた可能性があるという。

では機密費はどのように使われてきたのか。機密費は記録が存在しないとされてきた。
だが野中氏は長官就任の際、内閣官房の担当者からノートを手渡されたという。そこには、これまで金を渡してきた相手が記されていた。

官房機密費は情報公開もされず、会計検査院のチェックを受けることもない。野中証言で分かった一部が流用されていた実態。機密費は歴代の元総理に顧問料のような形で定期的に(年2回100万円)渡されていたという。永田町では――。

官房機密費は内閣官房長官がその時々の判断で自由に使える金とされる。野中氏の時代は、最高で1億2000万円に上った。当時はそれに群がる政界関係者がいたという。「家の新築祝いに3000万くれ」。総理に電話をかけてきたのは、引退した政治家で、その時政治評論家をしていた人物だったという――。「結果的にはね、1000万円やそこらは出したのではないかと思ってますよ。」
さらに、国会議員のなかにも、機密費をもらいにくる人々がいた。外遊、海外視察に向かう餞別として。それは長年続く慣例だったと言う。機密というベールの影でその使い方が問われている官房機密費。年間予算は今年も年間14億6000万円が計上されている。
メディアを揺るがす“大贈収賄事件”
官房機密費を
懐に入れた
マスコミ人たちの常識
ダイヤモンド・オンラインでも官房機密費とメディアの問題に触れざるを得なくなったようだ。
4月19日、野中広務元官房長官がTBSの番組「NEWS23クロス」で初めて暴露してからすでに1ヵ月経った。その間、テレビ・新聞はこの問題を完全に黙殺している。 
一方で、ネットやラジオの中ではこのテーマが論争にまで発展している。そこで問題視されているのは、機密費そのものの是非についてではない。 
ネット利用者やラジオリスナーの怒りの矛先は評論家やコメンテーター、新聞の論説・解説委員、あるいは記者クラブ所属の記者たちにまで機密費が流れていた、という信じがたい疑惑に向かっているのだ。

もはや“大疑獄事件”に
発展しかねない大事件


 だが、もはやそれは疑惑ではなくなっているようだ。筆者は、今週から「週刊ポスト」誌上この問題の追及キャンペーンを始めたばかりだが、その取材過程で、すでに多くのマスコミ人が機密費の受け取りを認めはじめている。 この問題は、その内容だけみれば、政府高官の関わった「贈収賄」であり、もはや政界と報道界全体を揺るがす「大疑獄事件」に発展してもおかしくないものである。

 にもかかわらず、きのう(5月18日)、「東京新聞」が特集しただけで、いまだにメディアは沈黙を守っている。いったいなぜだろうか。

 答えは言わずもがなである。連日のようにテレビや新聞に登場しては、至極立派な発言を繰り返している至極立派なマスコミ人の多くが、機密費の「毒饅頭」を食らっているからに他ならない。

 畢竟、官房機密費は「政治とカネ」の問題の肝であるはずだ。世界中の健全なジャーナリズムであれば、税金を原資とする機密費が、権力の不正をチェックすべき側のメディアに渡っていたとしたら、大問題となって連日、大騒ぎしていることだろう。

現に私のもとには英国、米国、中国のメディアから、早速この件に関する取材の依頼が飛び込んできている。 実際、機密費を受け取ったマスコミ人はどう釈明するのだろう。今回は、「東京新聞」の記事を元に分析してみよう。「東京新聞」からの引用はすべて2010年5月18日付特報欄からのものである。 政治評論家の三宅久之氏は、中曽根内閣時代、藤波孝生官房長官の秘書から100万円の資金提供があったことを認めた上でこう答えている。〈藤波氏が予定していた二回の講演会に出られず、代わりに講演し、百万円(講演料)をもらったことがあった。しかし、自分の信条からして恥ずかしいことはしていない。お金の出所が官房機密費かどうかは考えたこともない〉(東京新聞) 
ところが、三宅氏は「週刊ポスト」の筆者の取材記事に対してはこう答えている。「(代理講演を)引き受けることにしたら秘書が100万円を持ってきた。藤波のポケットマネーだと思って受け取りました。領収証も書いていない」 
これこそ、「政治とカネ」の問題である。内閣官房からの領収書のないカネは、すなわちそれが機密費である可能性を限りなく高くする。 さらに、領収書を受け取っていないということは、税務申告を怠っている可能性もあり、所得税法違反の容疑さえも芽生える。

三宅氏はメディアと政治の距離感を勘違いしているのか


 そもそも毎日新聞政治部出身で、政治評論家という永田町に精通している三宅氏が、官房機密費の存在を知らないはずがない。 
仮に、知らないのであれば、余程の「もぐり記者」か、「愚鈍な記者」のどちらかである。 そしてメディアと政治権力との距離感について、三宅氏はこうも続けている。〈提供を「断ればいい」と言うのは簡単だが、必ず相手との関係が悪化する。最終的には良心の問題〉(東京新聞)
 三宅氏は何か勘違いしているのではないか。ジャーナリズムにおいて良好な関係を維持すべきは、その関係が社会的にも法的にも健全な場合に限定される。 
とりわけ対象が政治権力であるならば、それはなおさらだ。 むしろ関係悪化を恐れるばかりに、結果として「犯罪行為」の片棒を担ぐようなことになることこそ、恐れるべきなのではないのか。

“賄賂”を受け取らないと世の中が成立しなくなる?


 政治評論家の俵孝太郎氏もこう語っている。〈昔は一定水準以上の記者が退職したら、その後の金銭提供はいくらでもあった。今は問題視されているが、当時はそれが常識だった。(機密費の使途の一つの)情報収集の経費に領収書は取れない。労働組合や新聞社も同じことで、そうした金がなければ、世の中が成り立たなくなる〉(東京新聞) 
所詮、テレビで立派なことを言ってきた評論家はこの程度の認識なのだ。機密費という賄賂を受け取らないと「成立しない世の中」とはいったいどんな世の中か。 それこそが記者クラブ制度のぬるま湯の中で権力と一体化し、自らの既得権益を守るために国家・国民を騙して洗脳し続けてきた戦後の日本の「世の中」ではないか。
 広辞苑にはこう載っている。
〈ぎ・ごく【疑獄】 俗に、政府高官などが関係した疑いのある大規模な贈収賄事件をいう。「造船―」〉 
まさしく公金でもある機密費が、新聞・テレビなどのマスコミ機関に渡ったことは、「政府高官」である官房長官による「大規模な贈収賄事件」そのものではないか。 
すべての新聞・テレビは早急に内部調査を始めるべきである。
官房機密費問題追及
に、既存メディア側
からも心ある
「援軍」が続出!
  日本において、官房機密費問題がこれほどまでに「タブー」であるとは正直、想像の範囲を超えていた。政治側の問題のことを言っているのではない、普通の国ならば当然に、官房機密費の使途をチェックする側のはずのマスコミ、その不作為とごまかしのことを言っているのだ。 
それは、この問題の根深さの象徴であると同時に、優秀だとされた日本の新聞・テレビが、実際は一流でもなんでもなく、三流以下の、さらにその下の最低の「犯罪機関」に成り下がっている証左でもある。 春から「週刊ポスト」誌上においてキャンペーンを続けている「マスコミ人に渡った官房機密費」の問題は、きわめて大きな反響を呼んでいる。

「週刊ポスト」誌には女性からも声援が多数


「週刊ポスト」編集部には、例のないほどの好意的な声が多数寄せられている。しかも、セックスを売り物にした、上品とはいえないこの週刊誌に対して、女性読者からの電話も少なくない。これは創刊以来初のことだという。 
それほどまでに、この問題に対する一般国民の怒りは深いのだろう。だが、記者クラブメディアはまだこの問題の大きさに気づいていない。いや実際は気づいているのかもしれないが、どのように対処していいのか、わからないのかもしれない。 記者クラブ問題を追及した時のように、筆者である私の存在を無視してしまうような手段はもはや通用しなくなっている。仮に、うまい具合に私を「抹消」できたとしても、それでは済まない事態が進行し始めている。 この問題に気づいた少なくない良心、とりわけ既存の記者クラブメディアで活躍している人々が声を上げ始めたのだ。 それは世代交代を伴った「革命」のようなうねりをこの国のメディアに及ぼしている。
 フジテレビの「とくダネ!」にレギュラー出演している岩上安身氏は、「上杉殿、助太刀いたす」というユニークな表現でもって、早い段階から独自取材によってこの問題を追及しているジャーナリストの一人である。 岩上氏は「週刊大衆」やニッポン放送の番組の中で度々この問題を取り上げているが、何より自らユーストリーム上に設置した「岩上チャンネル」で独自の無料中継を行っているところが大きい。 一銭にもならない完全なボランティアだが、そのためだけに日本全国を飛び回り、マスコミに渡った機密費問題の取材を始めている。まもなく孫の誕生するフリーのジャーナリストが、生活を賭してまでこの問題を追うのは、これが日本という国家、さらには将来の国民にとって、放置できない重要課題だという認識があるからだという。

ツイッター、ユーストリーム、BS放送、CS放送、ケーブルTVで広がる包囲網


 評論家の宮崎哲弥氏も、この「マスコミ機密費問題」に敏感に反応したひとりだ。政治問題から距離を置いていたここ数年だが、やはり岩上氏と同様、これこそが日本の民主主義の根幹に関わる問題だとして発言を続けている。 
自らのトーク番組「宮崎哲弥のトーキングヘッズ」(朝日ニュースター)では、ゲストに私を招いて、一時間、自由に話をさせるという冒険を冒し、さらに地上波のレギュラー番組にも、私(上杉)を出演させようと、粘り強い交渉を行っている。もちろん、こうした行為は宮崎氏にとって何一つ得はない。むしろ、現在の仕事をすべて失う可能性のある危険な行為ですらある。 こうした「冒険家」はまだまだいる。 
ジャーナリストの小西克哉氏は、自身がMCを務める「インサイドアウト」(BS11)に筆者を呼び、毎日新聞の政治部編集委員と生放送での直接対決の場を作った。
 同じく江川紹子氏も、地上波のいくつかのレギュラー番組の中で「記者クラブ」に触れたり、ラジオ番組の中では、このマスコミ機密費問題を批判したりしている。 
とりわけ、彼女自身のツイッター上で、この問題に関する意見をつぶやき続けていることの影響は小さくない。 ツイッターといえば同じく水道橋博士も同様だ。立場的にはもっとも既存メディアからの圧力を受ける芸能界に身を置きながら、臆することなく、この問題について語っている。 
作家の室井佑月氏も、彼女自身の連載やメディアの中で繰り返しこの問題について言及し、国民の「洗脳」を解くために、危険ではあるが、まっとうな評論を続けている。 著名人の中でこのマスコミ機密費問題をもっとも粘り強く追っているのが、ラジオ界のカリスマでもある吉田照美氏だ。

ラジオもまた心強い味方7月31日には久米宏氏と生放送


 吉田氏は、自身の番組「吉田照美のソコダイジナ」(文化放送)で、私(上杉)がレギュラー出演している水曜日、この件については私以上に熱く追及している。それだけではない。他の曜日も繰り返しこの件について言及している。さらに趣味の領域を超えた趣味ともいえる絵画の分野でも、「マスコミ官房機密費」をテーマに、「3部作」を仕上げ、次回の個展で発表するほどの熱の入れようである。 
それもこれもメディアを知り抜いているからこそこの問題の重要性に気づき、敢えて「冒険」を冒しているといえよう。 ラジオといえば、久米宏氏も自身の番組「久米宏のラジオなんですけど」(TBS)でこの問題を取り上げている。しかも、今月末(7月31日)には、私をスタジオに呼んで、生放送しようという試みに挑む。
「いいんですよ、ぼくはね、そのためにこの番組がなくなっても――」
先日、久米氏は放送中にこう言ってのけた。「ニュースステーション」の司会者としてテレビジャーナリズムの一時代を築いた「テレビ界の天才」にこうまで言わせるのはなにか。  
だが、こうしたビッグネームの発言にも関わらず、テレビ・新聞の「一流メディア」は、この「マスコミ官房機密費」問題についてほとんど完璧に沈黙を貫いている。仮に、海外のメディアだったら、税金の一部が「賄賂」としてそれを追及するはずのマスコミに流れていたとわかったら「大キャンペーン」となっていることは間違いない。だが、記者クラブのある日本では、記事や番組で真正面から取り上げているのは皆無であることが不思議だ。

大新聞・テレビはごく一部を除き相変わらずの狸寝入り


 例外は、TBSの「ニュース23 クロス」で、マスコミの問題を微妙に避けながらも、松原耕二キャスターが最初に、そして執拗にこの問題を追及している。また、「東京新聞」の特報部は、5月21日に一度だけ記事にしている。ただし、わずかにこれだけである。いったいなぜマスコミはこの問題を避けるのだろうか。 
いまや、新聞のテレビ番組欄に名前が載っただけで視聴率が跳ね上がり、著書も飛ぶように売れるジャーナリストの池上彰氏もまた、この問題にもっとも理解のあるひとりだ。 かつて、私が「記者クラブ問題」を追及して孤立している時、自身のFM番組にいち早く呼んで生出演させてくれたのも実は池上氏である。今回も、朝日新聞の自身のコラムで、真正面からこの問題を取り上げた(5月28日)。
〈(マスコミに機密費が渡ったことが)もし事実だとすれば、日本のジャーナリズムにとって深刻なことです。政府から機密費を受け取っていたら、政府の批判はしにくくなるでしょう。(略)こんな重大な問題なのに、朝日新聞を含めて新聞やテレビの追及はほとんどありません。どうしてなのでしょうか〉 こう書いた上で池上氏は次のように結んでいる。
〈朝日新聞の編集幹部や、朝日新聞出身の評論家、コメンテーター諸氏は、どうなのでしょうか。取材してみる記者はいませんか?〉 この問題を追及すれば、筆者のように新聞・テレビなどの既存メディアから追放される可能性もあるのだろう。だが、池上氏は少しも恐れていないようだ。以前、私がそうした危険性について指摘すると、池上氏は笑いながらこう応じたのだった。
「僕は少しも構いませんよ、干されたって。だって、NHKでもそうした経験はたくさんしてきましたから――」 
権力とメディアの健全な緊張関係、それを構築することこそ日本の健全な民主主義のための第一歩である。マスコミに渡った官房機密費問題の解明はまさしく、そのために避けて通れない問題である。 そうした冒険を厭わない人々はここに挙げた以外にもたくさんいる。
日本のマスコミ界における「革命」は、静かに、だが確実に進行しているのだ。
野中広務氏の
公共の電波を使った"華麗なる勘違い
発言"に反論す
 永田町を取材していると時々、理解不能な人種にめぐり合うことがある。その種の人々は時に微笑ましくもあり、時に呆れてしまうこともあるが、まぁ、いずれにせよ、同じ人間のやること「変人」ぶりに驚いてもいられない。 
野中広務、森喜朗、安倍晋三の3人の共通点は、物忘れと思い込みの激しいことにある。何らかの病気であるならば仕方ない限りだが、不幸なことに、この3人は今なお政治家(ひとりは評論家)として国政に関わっている。被害が、国民や国家に及ばないことを祈るばかりだ。 この3人の健忘症と思い込みの被害者のひとりが、何を隠そう、この筆者である。
きのう(7月28日)、関西テレビの情報番組「ニュースアンカー」に野中氏が生出演した。そこで、またしても野中氏の健忘症と華麗な勘違いぶりが発揮されたのだ。 
〈私はね、この上杉さんというのは無責任だと思う。あの人、私に、いっぺんもですね、インタビューなんかしたことがないですよ。それに、その「週刊ポスト」とか「フライデー」とかこういうところでね、電車のつり革に「野中激白」とかこういうのでですね、みなさん、その中を読んだら、私の名前なんか一回もないですよ〉 これは、評論家の宮崎哲弥氏が筆者と週刊ポスト編集部が取材している「マスコミに渡った機密費問題」について質問した時の野中氏の回答である。

取材依頼を断り続けながら「取材を受けていない」とは…


 安倍氏も同様だが、この3人の共通点は「繰り返しの取材を断っておきながら、取材を受けてない」と強弁する点だ。野中氏は1999年から20回以上、安倍氏に関しては2001年から30回以上、インタビューか取材を依頼しているがすべて断ってきている。せっかくの機会だから、この2人には僭越ではあるが、正しい日本語の使い方をお示ししよう。 
その場合は「インタビューを受けていない」「取材を受けていない」と言うのではなく、「取材を断った」「取材を拒否した」というのだ。国会議員であるのだからもう少しきちんとした日本語を使用していただきたい。
 ついでに、また、残念なことではあるが、官房機密費について、筆者は「フライデー」に寄稿したことは一切ない。野中氏はなにか大きな勘違いをされているようだが、ぜひとも、よく調べてから発言をしてもらいたい。 さらに、驚くべきは、「野中激白」という「週刊ポスト」の記事についての野中氏の言及部分だ。官房機密費マスコミ汚染問題についての追及キャンペーンの第1回目、「週刊ポスト」にそのような記事が載っていたのは確かである。 
だが、それは筆者の記事ではないし、そもそも、筆者はその週の「週刊ポスト」を手に取るまで、一切、その記事の存在すら知らなかったのだ。逆に、手に取った瞬間に「週刊ポスト編集部」に電話して、「大丈夫だろうか、この記事。野中氏の〈激白〉とは言えないんではないか」と、親切にも心配の電話を入れてあげたくらいだ。それはそこに知らぬ間に筆者のコメントが使用されていたということもあるが、その点では野中氏とまったく同感であったのだ。 
さて、筆者の記事ではあるが、それは「評論家たちに渡った官房機密費のリスト」というまったくこの記事とは別の記事である。 自分のまったく知らない記事が理由で、公共の電波を使って批判されるのはたまったものではない。ただ健忘と思い込みの激しい野中氏であれば、それも仕方ないのかもしれない。野中氏には、速やかな訂正と謝罪を求める。それができないようであれば、番組で筆者に投げつけた「無責任」という言葉をそのままお返ししようではないか。

昨今の評論家は物忘れの激しい方が多い!?


 さて、野中氏の驚愕の発言はまだ続く。司会者の「取材を受けたことはないんですか?」という問いに対して、こう答えたのだ。
〈ないですよ!顔もみたこともない〉 
三宅久之氏ではないが、昨今の評論家はもの忘れが激しい人物が多いようだ。ちなみに1994年以来、野中氏とは何度も顔を合わせている。とくに1999年には名刺交換までしてインタビュー取材もしている。
 もしかして、筆者があまりに存在感がないためにお忘れになっているかもしれない。そこで、手っ取り早くその証拠を示そうではないか。 
2年ほど前、筆者は「久米宏のテレビってやつは」(毎日放送)という番組の準レギュラーであった。長い収録の最中、筆者の隣には野中氏が座っていた。そこで繰り返し会話を交わしたものだった。「上杉さんね、いろいろと、がんばっておりますな」 
こう話しかけられて、改めて挨拶したのを覚えている。打ち合わせのための控室でも話をした。もちろん放送では筆者と野中氏が一緒に映っている。政治がテーマということもあって、掛け合いもある。 しかし、早とちりはいけない。あれは野中氏ではなく、野中氏によく似た代理だった可能性もある。 
幸いなことに今週末の土曜日、TBSラジオの「久米宏のラジオなんですけど」に筆者は生出演することが決まっている。 テーマはもちろんマスコミに渡った官房機密費、VTRよりもより確実な証人である久米氏が司会だ。これは確認してみる必要があるだろう。 さらに関西テレビの番組で、野中氏はこうも語っている。 
〈非常にね、あの人がジャーナリストで、あーいうようにね、ポストを通じてこられるというのはね、みんな中身見てください、私の言葉がどこに出ておられるのか〉 
そうだ、是非ともみんな中身を見てほしい。筆者の記事がどこにあるのか。

野中氏の妄想はさらに暴走


 さらに野中氏の無責任な妄想は止まらない。 
〈都内の電車のつり革にはですね、『野中広務激白』とかみんな私の名前が出てくるんですよ。迷惑至極ですね。やっぱり私はああいう記者の方も自らモラルを持っていただかないと非常に残念に思っております〉
 まったく野中氏は非常に残念である。公共の電波で何百万人もの前で話すのなら、事実を確認するくらいのモラルを持っていただかないといけない。繰り返すが無関係の記事で名前を出されて迷惑至極である。 
こうしたことは「ラジオ日本」の番組で、「上杉とは会ったこともみたこともない」と言い放った森喜朗氏にもある。その発言の少し前、筆者は森氏の永田町の個人事務所で相対して座り、1時間あまりのインタビューを行っていたばかりだ。

変人たちの巣食う楽しい町――それが永田町


 また自身のHPに「上杉は逃げ回っている」と書いている安倍氏も同様だ。繰り返しの取材依頼にも関わらず、自分が逃げ回ったことは棚にあげて、「一度も取材を受けていない」と話すのである。 門を閉じて、繰り返し、繰り返し、追い返しておいて、「何で会いにこないで、逃げるんだ」と言われても、それは返す言葉もないというものである。また、それを真に受けて自身のブログに書き込む、ヒマな産経新聞の政治記者についても同様だ。そしてまた、さらにそれを鵜呑みにしてウィキペディア等に懸命に書き込む人々――。 じつは、こうした理解不能な「変人たち」がいるからこそ、永田町は楽しい場所なのかもしれない。
2011年、世界中で進行するメディア革命に“抵抗勢力”菅首相と
記者クラブメディアは抗しきれるか
 1月4日、菅直人首相が年頭会見に臨んだ。 元日の朝にも述べた「開国元年」というキャッチフレーズを繰り返し、TPP参加を視野にも入れた貿易自由化の促進を訴え、外に向けた「開国」を強調した。「開国」に異論はない。いや、その宣言は遅すぎたとさえいえる。 
インターネットメディア等の台頭により、世界中で社会構造の転換が図られている。そうした現実の変化からも、居心地のよい「鎖国」に閉じこもっていた政治家やメディアの方が遅すぎたのだ。 この20年間、「情報公開」、「オープンな政治」を訴えてきた菅首相だが、政権に就いた途端、まるで過去の自分を呪うかのように真逆の政策を採ってきた。 先月までの約3ヵ月間、一切記者会見を開かないという酷い対応で情報管理に励んだのみならず、この日の会見では再度、会見時間を短縮させた。 鳩山首相時代は、いつも約1時間ほど行っていた首相会見は、菅首相になって40分に減らされ、さらにこの日、ついに30分になってしまった。 
しかも、普段から「ぶら下がり懇談」で首相に接する機会の多い記者クラブメディアにばかり質問が当たる。結局、ネットとフリーランスの記者からの質疑は、私の行なった一問だけであった。
〈――首相は野党時代から情報公開、そして今クリーンでオープンということを訴えていますが、情報公開の観点から官房機密費の公開、記者会見のフェアなオープン化ということを約束したが、これを守っていただく時期はそろそろきたのではないか。この件に関してやるのかやらないのか〉「会見のあり方について何度かこの場でご質問といいますか提案をい ただきまして、私もできるだけオープン化すべきだという姿勢で私自身の会見は臨んでおります。
また閣議あるいは閣僚懇の席でも各閣僚にできるだけそういう 姿勢で臨むようにということを申し上げているところです。官房機密費の問題はいろいろな経緯、いろいろな判断がありますので官房長官と十分考え方を合わせて対応していきたいと思っております」
(産経新聞WEB要約版)
  ちなみにこの質疑応答を掲載したのは、産経新聞ウェブ版だけである。残りのすべての新聞・テレビは黙殺した。替わりに何を報じたのか。 
案の定、その日の新聞は、国家や国民に直接関係することではなく、小沢一郎というどうでもいいひとりの政治家のことばかりを報じたのである。〈「小沢氏進退 自ら判断を」〉(毎日新聞夕刊トップ)〈「小沢氏は出処進退を」〉(朝日新聞夕刊トップ) 
あまりにレベルが低すぎてもはやコメントする気にもなれない。 情報公開という国民の利益に直結する政策についての首相のことばよりも、政治部的な政局報道が優先するこの国のメディアらしいではないか。 
もはや、こうした愚かな行為が隠しきれなくなっていることを彼らは知らないのか。首相官邸のHPでさえ、首相会見の動画をすぐにアップしているというのに……。 
この際、政治家以下の感性しか持ち得ない記者クラブメディアの愚行は無視することにしよう。

情報公開の大波は日本にも――秋葉忠利広島市長のケース


 2011年、情報公開の大波は日本にも押し寄せている。愚かな「記者クラブごっこ」に付き合っている暇はない。なにしろ、そうしている間にも、「メディア革命」は恐ろしい勢いで進んでいるのだ。 たとえば、広島市の秋葉忠利市長は自らの退任会見を「ユーチューブ」でのみ行なうと発表した。 既存メディアを中抜きし、直接、市民に訴えるという方法はいかにも斬新なように思われる。だが、実は、たとえば2年前にオバマ米大統領が始めたように、記者クラブのない世界中で当然のように行われていることなのだ。
〈「広島市の秋葉忠利市長は5日、前日に表明した退任に関する記者会見や取材の要請を拒否し、今後も応じない方針を示した。一方でインターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」に退任理由などを説明する映像をアップし、報道各社に視聴するよう求めた。
(中略) 
投稿映像は「yasuwo53」の登録名で4日の投稿。撮影者や時間、場所は公表していない。 
一方で、5日に市政記者クラブが記者会見を行うよう要請したのに対し、秋葉市長は広報課を通して「ユーチューブの映像を見てほしい」と回答。退任 に関しては今後も「会見は開かないし、インタビュー等も受けない」とした。同課によると、5日は新聞社と地元放送局の計4社が個別取材も申し込んでいた。 秋葉市長は退任を表明した4日も「任期が来てやめるだけ」と記者会見を拒否。新聞2社の取材申し入れも受けなかった。一方で地元民放1社が生放送した番組には出演した。 
広報課によると、秋葉市長は月2回の定例記者会見は今後も継続する意向という〉
(中国新聞ウェブ版2011年1月6日)

記者会見をめぐり記者クラブ側とフリーランスの対立が先鋭化


 また、総務省では、記者クラブメディアとフリーランスなどのジャーナリストたちが、記者会見のオープン化をめぐって激しく対立している。 
1月5日、動画中継を行ったフリーライターの畠山理仁氏に対して、記者クラブ側が中止を要請、同席したジャーナリストの田中龍作氏が「ジャーナリストがジャーナリストを排除して恥ずかしくないのか!」と声を荒げる一幕があったという。 さらにジャーナリストの寺沢有氏が、場合によっては法的手段に訴えると示唆し、片山総務大臣が「両者の間での話し合い」を求めて仲介するという喜劇のような場面もあったという。
いったい既存メディアは、情報公開ということに関してどう考えているのか。 
実は、こうした経緯は、記者会見を欠席してオーストラリアでゴルフをしている筆者にもライブで伝わった。 タイムライン上に現れる
畠山氏
田中氏あるいは
寺沢氏のツイッター上のつぶやきをみれば、ほとんどわかってしまうのである。 
時代は変わったのだ。それに対応できていないのが記者クラブメディアであり、そして菅直人首相なのである。 そもそも、菅首相に、情報公開や国民の知る権利に応えようとする意思はあるのだろうか。菅首相は年頭会見でこう言い切った。
「小沢元代表は自分の言ったことくらいはきちんと守ってほしい」 その言葉を聞いて、筆者は菅首相にこう言った。
「情報公開について、先ほど小沢氏に言ったことを、ぜひとも総理ご自身にもやっていただきたい」 もちろん、このくだりを、すべての新聞・テレビメディアが無視したのはいうまでもない。
自らの賄賂疑惑に沈黙するマスコミに、
大相撲賭博を糾弾する資格はあるか
 きょう、全米オープンゴルフの取材から帰国してみると、日本は相撲報道一色になっていた。 
さすがに国技、相撲への関心は高いと思えばいいのだろうが、その内容はあまりに悲しくお粗末なものである。 力士や親方が関与したとされる野球賭博の実態は、日を追うごとにひどいことになっている。65人が自らの関与を申告し、30人あまりの力士が実際に賭博を行っていたと白状したのだ。 
汚染は広がり、もはや自浄作用が効かない状況になっている。それでだろう、日本相撲協会理事会は、諮問機関として特別調査委員会を立ち上げることを決定したようだ。 犯罪を「犯罪者」が裁くようなことになれば、当然に真相究明は望めない。その点からも、内部調査の後にこのような形で外部に調査を委ねることになったことについては、まずは一定の評価をしたい。

メディアがそこまで騒ぐほどのことなのか


 大体において、三役などの一部力士たちを除けば、相撲取りは総じてヒマだ。仮に、時間を持て余すあまりに、このような悪行に手を染めることになってしまったとしたら、問題は根深い。 
悪しき慣習を断ち切るためには業界全体の努力が必要だ。再発の防止は相撲協会だけの力で行えるものではない。 文科省、メディア、そして相撲ファンも含めて、不断の監視の目が不可欠になる。 それにしても、ここ1、2週間の新聞やテレビの報道はあまりにひどすぎる。あたかも、この賭博事件が、稀にみる重大極悪犯罪の発生のような扱いである。
 もちろん賭博は違法である。しかも、国技であり、品格を重んじ、健全でなければならないはずの大相撲、その業界全体が犯罪に汚染されていたとなれば、確かに大問題ではある。 
しかし、新聞・テレビのメディアがそこまで騒ぐほどのことなのか、どうしても疑問を抱いてしまう。 なにより、「相撲記者会」所属の記者たちが、この問題をいま初めて気づいたかのように振舞っていることに驚かされる。 
大相撲記者クラブの記者たちは、4月、「週刊新潮」がこの問題を報じるまで、本当に何も知らなかったのだろうか。

仮に知っていて報じてなかったとしたら


 記者クラブという組織を結成し、他者を排除し、四六時中力士たちと会話し、「業界人」として行動をともにし、深く親交を結んできた「相撲記者」たちが、本当に何も知らなかったのか。私にはそのことこそが信じられない。 
仮に、本当に知らなかったとしたら、相撲記者たちというのは、よほど愚鈍な連中の集まりだと断言できよう。そうした愚鈍な連中の記事をもっともらしく載せたり報じたりしていたとしたら、新聞もテレビも同じように罪である。 
逆に、知っていて報じなかったとしたらどうだろうか。犯罪行為を見過ごしたということになれば、法的にも「共犯関係」に当たるかもしれない。記者自身も相撲記者としてはアウトの可能性が出てくるのでないか。 
日本では、これまでも記者クラブ制度の存在によって、こうした事実が明らかにならなかったことは多々あった。 
それは大相撲に限らない。すべてのスポーツ、あるいはまた政治、行政、芸能、メディア、あらゆる業界でこうした「記者クラブ」のカルテルの壁によって、不正の隠蔽が行われてきたのだ。
きょう、読売新聞一面は次のような見出しでこの事件を報じている。〈悪質賭博 力士名公表へ〉 
そして、スポーツ面には次のような解説コラムが載っている。〈未申告者も徹底調査へ
(前略)相撲協会の内部調査に対し、いったんは野球賭博への関与を認めた力士であっても、調査委が「クロ」と認定しなければ、(名古屋)場所への出場は可能。その場合、名前は公表しない方針というが、果たして、ファンの理解は得られるだろうか。若い力士はともかく、関取や親方は、一定の責任を負う立場だ。29人に含まれたことで疑惑の目を向けられるより、軽微であるなら、むしろそれを明かして釈明した方がいい(後略)〉
 まったく同感だ。そこで筆者から提案がある。 
いま、記者クラブメディアの新聞・テレビと、そこに出演する評論家などに、長年「官房機密費」が「賄賂」として渡っていたという疑惑がかかっている。 大相撲賭博疑惑を「週刊新潮」が報じたちょうど同じ4月から、「週刊ポスト」でも毎週この問題を連載している。だが、こちらのほうは一向に報じられることはない。 
そこでだ、仮に、記者クラブが健全というのならば、新聞・テレビはその件について自ら、大々的な調査を行った上で、相撲賭博問題と同じくらいの分量で報じたらどうだろうか。 ニュースの重大性からいえば、原資が国民の税金である官房機密費の方がずっと大事のはずだ。 
まさしく、読売新聞の解説コラムのように、いまは「徹底した調査」が必要なのである。 加えて、調査終了後「名前は公表しない方針というが、果たして、ファン(国民)の理解は得られるだろうか」ということにならないように、疑惑の懸かった人物はすべて実名で公表してほしいものだ。とはいえ、「若い力士(記者)はともかく、関取や親方(メディア幹部や評論家)は、一定の責任を負う立場だ」というのもいえる。 
いずれにしろ、「疑惑の目を向けられるより、軽微であるなら、むしろそれを明かして釈明した方がいい」というのはすべてのテレビ・新聞に当てはまることだ。 
日本新聞協会は、日本大相撲協会の爪の垢でも飲んだらどうか。
MU(ムー)の ブログ参照
「官報複合体」の 癒着構造
クリックで拡大します。
耐震偽装事件
 耐震偽装隠蔽事件 「巨悪は政治家と官僚、 記者クラブ」
日本の頭脳 世界も驚く名言集
NHKの不祥事
連日のように、BSを利用して 反共反社会派プロパガンダを 展開しているNHKですが、その 目的は、「言論の自由を守る」 という名目と耳障りの良さで 「自分たちの既得権を守る」 ためと言わざるをえません。